中央パークアベニュー
2014年3月12日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
『しまたてぃ』67号で取材した中央パークアベニューの、Web版制作のために追加撮影をしてきました。
沖縄市は、1974(昭和49)年4月にコザ市と美里村が合併して誕生した地域ですが、40年たった今も、“コザ”という名前に愛着をもつ人は多いはず(たぶんだけど)。それだけ、コザ時代が強烈な印象を残したといえるのでしょう。
否応なく基地の門前町として生きてきたこの街の戦後は、日米琉の綱引きに、たえず揺すぶられてきた沖縄そのものです。
憎しみと憧れを同居させたまま向き合ったアメリカと、救いを求めた「母国」日本の沖縄への眼差しは、本土復帰を経た今も変わっていないようで、“手のかかる継子”以外の何者でもないのでしょう。
破産した「コリンザ」から東に続く中央パークアベニュー。それまでセンター通りと呼ばれた道路が、大幅な改修・改称を実施したのは1985(昭和60)年4月。基地経済からの脱却を企図し、歩行者優先のオシャレな通りへと生まれ変わったのですが、遠のく客足を引き止めることは今も厳しいそうです。
“ビジネスセンター”に由来する、センター通りの建設が始まったのは1950(昭和25)年6月。原野だった場所はあっという間に商店街となり、大勢の米兵がかっ歩する歓楽街へと変貌しました。
現在の沖縄市は多国籍の人々が暮らす街。さまざまな人種や世代が、多彩で自由な空気を満喫しながら、独自の文化を形成しています。
ドル時代のように儲からなくても、それでイイんじゃないの、と思わず声をかけたくなったのでした。
(三嶋)