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なんかモヤモヤ

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5月末のある日、暑いなか那覇新都心を歩いていると、アレ、なんか変?と、交差点で足が止まった。ちょっとした木陰を提供していたガジュマルの木が、ない!切り株が残るだけだ。

誰が?とか、勝手に切っていいの?とか疑問が湧き上がる。こんなに簡単に切られていいの?とも思う。

そして、怒りと悲しみが混ざったような、モヤモヤが湧き上がってきた。

カメラのキタムラの向かい、四角にあったガジュマルの切り株。

いろんな思いが駆け巡るなか、そういえば、沖縄の街路樹に関係する新聞記事があったなあと探してみると、国際通りの記事がいくつか出てきた。

それによると、1954(昭和29)年2月には、クスとヤブニッケイ93本が植栽され、1955(昭和30)年5月には、本部町伊豆味からモクマオウ71本が運ばれて植えられている。

また、1958(昭和33)年7月には、「数年前に植樹されたヤナギの街路樹が詩情を詠んでいる」とある。ヤナギは、歌謡曲などで親しまれた「銀座の柳」にちなんで植えられたものだ。

しかし、これらの街路樹が、いずれも定着しなかったのはなぜだろう。行政の資金難なのか、市民にそんなゆとりはなかったのか、それとも愛情不足なのか。

1968(昭和43)年2月15日の沖縄タイムスには、「沖縄で緑化運動が広がるが、那覇市内の街路樹は大切にされていない」の記事も見える。

2001(平成13)年1月の那覇新都心。街路樹はまだ植えられていない。
画面の左、遠くに見える建物が那覇国際高校。

たかが街路樹1本のことだが、アレコレ考えていると、いろんなことが浮かんできた。

そういえば学生時代、先生の一人が「沖縄のヤシが風景を変えてしまった」と嘆いていたなあ。本土復帰あたりを境に、トロピカルイメージを売りにする沖縄観光にとって、南国のイメージづくりにヤシは欠かせないアイテムだった。

1997(平成9)年7月。ヤシの木が中央分離帯に並ぶ、北谷町の国道58号。

何だか、切られたガジュマルのことを考えているうちに、まとまりのない話になった。

そして、なんかモヤモヤする気持ちは、おさまらないままである。

<三嶋>

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