たんぽぽ地蔵の話
2020年7月24日 Category: Myある記 Comment : 1
新型コロナの影響で、静岡の「劇団たんぽぽ」が存続の危機、と先月25日の朝日新聞が伝えた。
劇団たんぽぽは、戦後、小百合葉子(さゆりようこ)氏が浜松市で立ち上げた児童劇団。「すべての子どもたちに夢を」を信念に、全都道府県を巡り、これまで計4万4千回の公演を行なっていると新聞にある。
記事に目が止まったのは、たんぽぽ劇団にちなんだ拝所が、南風原町与那覇にあると記憶していたからである。
その場所を探しに出向いたこともあるのだが、道路沿いには見当たらず、引き返した事があったのだが、今回、改めて探してみることにした。
古い沖縄タイムス紙を見ると、たんぽぽ地蔵は、1964(昭和39)年1月10日午前11時頃、劇団たんぽぽの公演を観るため、与那原向けに歩いていた南風原小学校の子どもたちの列に、後ろから来たトラックが突っ込み、6年生の児童2人が即死、1人が怪我を負った事故にちなんで設置されたとある。
この事故は劇団にも大きなショックを与え、主催者の小百合さんたちは、事故現場にお地蔵さんを建てて、子供達の安全を見守ることを決意する。そして、同年7月18日、2体のお地蔵さんを安置した地蔵堂が、事故現場近くに設置された。
大理石の地蔵2体は浜松市の個人が製作し、安置する祠は平和観音像を製作する山田真山氏が引き受けた。また、多くの地元の方々が建設に協力し、御霊の安寧と交通安全を誓ったようである。
しかし、2006(平成18)年の道路拡張工事で祠は取り壊された。
地蔵は宜野湾市の関係者の手を経たあと、事故現場近くの「よなは保育園」の園長・前城惠子先生が引き取り、地元の有志が木造の祠を作った。
劇団たんぽぽからは、毎年のように関係者が参拝に来られる他、多くの方々が訪ねて来ると前城先生からお聞きした。
損傷が激しい祠の作り変えが悩みで、最近では南風原町議会でも取り上げられたそうだ。
新しい祠が必要なことは言うまでもないが、同時にこのエピソードが、次代に受け継がれていくことを祈念した。
<三嶋>
Comment
小学生だった1990年代に毎日その像の前を通っていました。
移設していたことをこのページで知りました。ありがとうございます。