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“巣ごもり”の中で考えたこと

 Category: Myある記  Comment : 1


誰も予想できなかったコロナ禍で、世界中が混乱している。

これまでの秩序があっけなく崩壊し、思いもかけない悲喜劇があちこちで繰り広げられているようだ。

アメリカと中国の子供のような振る舞いや、政治家・官僚の止まらない不正、追いつかないコロナ禍への対応など、私たちは毎日のように飛び込んでくるニュースに振り回されている。

拝金主義がはびこり、貧困が常態化している社会の中で起きる、これらの慌ただしい出来事に目を奪われると、何か大事なものを忘れていくようで不安が増長される。

これまで社会を基礎づけていた正義や規範といったものは、こんなにあっけなく壊れるのだろうか。

閉塞感が横溢している現在の社会に降りかかる新型コロナは、戦後、われわれが信じてきた価値観や社会の在り方が、虚ろで脆弱なものでしかなかったことを露わにした。

はたして、われわれは、今までの道を進んでいいのだろうか。

戦後、焦土から立ち上がった人々は、衣食住の確保に追われながら、今日よりも素晴らしい明日を夢見て生きてきた。

みな同じように貧しく、生き残ることが個人や集団の命題だった社会では、互いの助け合いが命を永らえることであり、それは必然のルールとして機能した。

なかでも、他府県では見られない地上戦を体験し、降り注ぐ弾幕の中を逃げ延びた沖縄の人々には、相互扶助への思いが骨身にしみているはずだ。

コロナ禍にうろたえる私たちが、戦中・戦後を生き抜いてきたこれらの人々に、学ぶことは多いのではないか。

その生き方や人生観に改めて向き合い、発見することもあるのではないか。それが新たな明日の糧になるのではないか、と“巣ごもり”の中で考えた。

1945年8月。収容所でおにぎりを作る女性たち。
(写真:沖縄県公文書館)

田植え作業に励む人々。1953年ごろ。
(写真:琉米歴史研究会)

足踏み式脱穀機での作業。
(写真:琉米歴史研究会)

助け合って赤瓦の家を造る人々。1954年
(写真:琉米歴史研究会)

 

<三嶋>

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Comment

  1. 崎原盛和 より:

     序文の三嶋さんの思いに賛同致します。
     懐かしい写真、ありがとうございます。

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