ジャーガル道の戦後1
2018年10月26日 Category: Myある記 Comments : 2
北谷町の西海岸は、近年、大勢の観光客や若者でにぎわっている。
米軍ハンビー基地の返還がその画期となったことや、戦前は県内有数の米どころだったことなど、もはや忘れ去られてしまったようだ。
戦後、西海岸の平野はほとんどが米軍に接収され、そこに居住していた住民は、美浜から現在の沖縄市山里に続く坂道、通称「謝苅道(ジャーガルみち)」周辺に追いやられた。
人々は起伏が激しく狭い土地に廃材で家を建て、厳しい環境のなかで戦後を生きてきたのである。
このたび、この謝苅周辺の戦後を写した写真がNPO法人琉米歴史研究会に届き、その中のいくらかは地元の方の協力で場所が特定できたため、ここで紹介したいと思う。
謝苅道(県道24号線)は、クネクネと曲りくねって尾根を走り、北谷町美浜と沖縄市山里をむすんでいる。
戦後の雰囲気を今も残す道の両側にはかつて人々があふれ、北谷町の行政や教育、商業を担う町の中心地であった。
軍用地の返還とともに、この地を去る企業や店舗が増え、商店街も往時のにぎわいを失いつつあるようだが、地域に蓄積された人々の記憶を消すことはできない。
だからこそ、かけがえのない人生の思い出(記憶)を、記録として残すことが重要であろう。それがこれからの住民に対しても、価値ある遺産になることは間違いないからである。
<三嶋>
Comment
本町に住んで、当時を知る者(昭和18年生)にはたまらなく感動する写真等です。
三嶋さんのコメントも素晴らしいです。
プリントアウトして同級生数名に配りました。
私の祖母が北谷に生まれ今年106歳を迎えます。
北谷の村の原風景に感動してます。
記念の動画に使用させていただきました
感謝に耐えません。