摩文仁の丘で写真を確かめる
2016年7月21日 Category: Myある記 Comment : 0
前城さんと別れたあと、久しぶりに摩文仁まで行ってきました。
琉米歴史研究会(以下「琉米」)の写真展が10月に決まったので、すこしでも整理しておこうと思ったからです。とりあえず確認したかったのは2ヶ所。
1ヶ所目は、「黎明の塔」があるあたりから見た風景です。
下の写真が、同じ場所から撮影した思われる摩文仁の集落。撮影は1958〜59(昭和33〜34)年。
と、ここで、こんな写真も琉米にあるのを発見。
ボケボケで申し訳ないのですが、1954〜1955(昭和29〜30)年に撮影された「黎明之塔」です。
現在のものと形が違いますね。
調べてみると、この塔は1952(昭和27)年6月22日完成したもので、沖縄新民報(第193号)によれば、「日本側と沖縄側の有志」が工事を行ったようです。
現在の塔が建設されたのは、それから10年後の1962(昭和37)年10月。沖縄協会の援助で行われています。
2カ所目の確認は、祈念公園の南側駐車場から、「健児之塔」に向かう途中にある崖。
写真の手前が健児之塔側、左に進む小道を抜けると海岸に出ます。
米国から送られてきた下の写真は、撮影年月日が分かりませんが、周囲の状況などからみると1950年前後ではないでしょうか。
米兵は、周辺の断崖を “Suicide Cliff(スーサイド・クリフ=自殺の崖)”と呼んでいて、複数の写真が琉米にも集められています。
彼らがどういう心理でこれらの写真を撮影したのかは分かりません。が、ここで失われた命や流された血に対し、悼む気持ちがあってのことと信じたいところです。
<三嶋>