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与那原ある記パート2

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『しまたてぃ』の取材報告。今回は与那原を取り上げます。

与那原は東部の湾岸埋め立てが進み、街のにぎわいも移動した感がありますが、私見では、那覇新都心的な街は「もういいんじゃないの」というのが本音。関係者には悪いけど。
全国どこでも同じような、キレイだけど面白味がない、ツルンとした顔の街が広がっていますよね。その方がいろんな意味で効率がいいし、差し障りがないのかもしれませんが、町の個性というか、「らしさ」がないのが、いただけないと感じてしまいます。
なので、歴史のある街のリニューアルはもちろん、これからの街でも是非、固有性を意識した地域づくりをしていただきたいと願う次第なのです(ストック・フレーズですね)。
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今回、街を案内していただいたお一人は、かつての与那原町長・粟国さん。
肩書きに少々ビビリましたが、気さくな人柄に安心し、面白い話をたくさん聞くことが出来ました。ありがとうございました。

なかでも驚いたのは、与那原から首里高校に毎日歩いて通ったという話です。
ボクも大学時代、1回だけ同じコースを往復し、ヘトヘトになったことがあったので、「毎日ですか?」と聞き返したのです。すると、「片道30分ぐらいだから、たいしたことないよ」との返事。う〜ん、さすがに昔の人は(失礼)強い、と感じ入った次第。恐れ入ります。

が、履物には困ったそうで、普段は裸足で歩き、首里に近づいて履くんだけども、ゲタはすぐダメになるので、米軍の戦闘靴を半分に切ったものを履いたそうです。
また、軍作業時代には、Tシャツを10枚も上着の下に着て、汗だくで「戦果」を挙げたこともあったそうで、そのたくましさには、やっぱり、かなわないなあと思った次第。
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かつての与那原海岸にかかる東浜橋。“旧市街”のえびす通りと、今が旬の東浜地区をつなぐ幹線道。
イラストにある山原船は、与那原〜本島北部をむすんだ東海岸交易ルートのスターです。
現在の与那原海岸は運河のようになってしまいましたが、戦前まではこの場所にいく隻もの山原船が寄港し、おおいににぎわっていました。

那覇や南部一円の物流を支えた港町・与那原は、山原船や県営鉄道、荷馬車・客馬車、バスなどが行き交い、今と比較にならないほど華やかなマチだった、と戦前を知るお年寄りの誰もが、誇らしげに語っていました。
<三嶋>

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