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南恩納の農業用水路

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恩納村には、字恩納から分離した南恩納という字があります。
かつては、東側に接する金武町屋嘉から、山を越えて運ばれた山原の物資を船に積み替え、ここから那覇に送っていたこともある交通の要衝です。
というようなことを調べ、現地に行ってあれこれ見て来たのですが、思わず足を止めたものがあったので、今回はそれにフォーカス。
紹介するのは、恩納小中学校の裏から、国道58号に並行して走る水路に架かる、コンクリートの用水路。これまで何度か通った道ですが、気づきませんでした。道路で断ち切られているものの、東西に延びるラインはうかがえますが、どちらもその先は草むらに隠れて確認できません。
文献では水路の西側には我那覇という部落があり、宿道も通っていようです。
また、大昔は浅い海が続く土地で、それが徐々に陸地化して間にこの川(水路)が残ったという話もあります。


水路をまたぐ用水路の跡。たぶん、稲作が盛んだった1960年代までは周囲に水田が広がり、この水路にも勢いよく水が流れていたのでしょう。
そういえば、各地で高架の用水路を撮影していたので、ついでにそれも引っ張り出して紹介します。


名護市安部に残る用水路。国道331号をまたぐ橋脚部分の高さは、おそらく沖縄一ではないでしょうか。


金武町金武に残る用水路。最近完成した金武ダムの貯水池にも残っていて、水位が下ると時おり顔を出す事があります。


伊平屋村我喜屋に残る用水路。伊平屋島は稲作がまだ盛んに行われているためか、この用水路はまだ現役のようです。
(三嶋)

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恩納の豊年祭

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字恩納の豊年祭に行って来ました。
二才頭(ニーセーかしら)を中心に進行される、道ジュネーに付いて行くと、演舞者、地謡、区民の一体感とともに、受け継がれていく伝統行事の素晴らしさを感じました。


ヌンドゥンチ(祝女殿内)で行われる奉納舞踊。
赤い衣装で踊るのは、新しく青年会に入った人たち(ミー青年)で、4人のうち3人が男性。このあと公民館を起点に道ジュネーが行われ、地域の人たちと一緒に、ゾロゾロと由緒あるポイントをひと回り。


道ジュネーでは、地域内のいわれのあるポイントごとに舞踊が演じられ、地謡もライブ。家々からも人が集まり、みんなで一体となって盛り上ります。
最後は公民館近くの角地で踊って終了。夕方から公民館二階の舞台で、本番が行われたようですが、朝からあちこち撮影してヘロヘロだったこちらは、ここであえなくリタイア。舞台見物は来年にとっておきましょうねえ。
(三嶋)

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仲泊のウシデーク

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恩納村仲泊で、ウシデーク(臼太鼓)を見学しました。五穀豊穰を祈る女だけの踊りです。
4年に1度の豊年祭の翌年にあたる今年は、旧暦9月9、11、13日に行われるとのことで、この日はその初日。
夕方から地区の婦人たち30人ほどが集まり、三ヶ所のムートゥヤー(旧家)を回ったあと、アシビナーでフィナーレ。


ライトに照らされて浮かび上がる紺絣の晴れ着姿が、どなたも(若い人もチラホラ)キマッテいます。
10番以上続く演目は、見ているだけでも結構ハードですが、高齢とおぼしき婦人でも平気で踊り続けていました。
沖縄女性のパワー、恐るべしです。


ギャラリーの中には、手をいっしょに動かし、楽しげに踊る方の姿も。楽しみなんでしょうね。来年はきっと元気になって、一緒に踊れますよ。
(三嶋)

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南恩納の取り残された橋

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大学院大学(OIST)の開学や、観光業の隆盛で活気づく、恩納村へ豊年祭を見に行きました。
おおかたの沖縄県民にとって、恩納村のイメージは、「沖縄本島の真ん中あたりの西海岸にあり、ホテルが並ぶキレイな所」というようなものでしょう(たぶん)。
しかし、伝統的な集落の景観や暮らしが、今も少なからず残っていることなどは、案外知られていないのではないでしょうか(知っていた?)。
車で通過するだけでは、何も見えていなかったんだなあ、と思い知らされたんです。
やっぱり歩かないと見えてこないんですね。いろんなことが。


那覇側から行くと、恩納バイパスにいたる交差点そばに残る「南恩納橋」。
まだ新しい感じですが、銘板には「1955」と刻まれていました。
昭和30年ということは、小生と同じ年齢の橋。で、このまま見捨てられようとしているのか・・・。
ひと事とは思えないわ(橋だけど)。


大勢の人が集まった瀬良垣の豊年祭。
立派(豪華)な公民館の玄関をステージにして、若手の区民が熱演を繰り広げます。観客も一体となり、地域総ぐるみで進む舞台を見ていると、強い絆でつながる地域の姿が感じられ、寄留民の身からすると羨ましいところ。
歌も台詞もウチナー口ですので、こちらはさっぱりダメですが、満月を背に野外で演じられる踊りや芝居に、地域がもつ“底力”をあらためて感じました。
しかし、いくつもの演目が終了してそろそろお開きかと思ったら、組踊「久志の若按司」の開始となってビックリ。
そして、上演時間が「2時間」とキッパリ言われて、またビックリ。この時間から2時間!
そ、それでは・・・と失礼を承知で会場を中座し、恩納村を後にしたのでした。
(三嶋)

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先端的大学とマッチするコスモポリタン、ゴヤ・フリオ

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恩納村にある沖縄科学技術大学院大学(長い)に行ってきました。
名前からして、自分の人生と100%交わらないと思っていた場所ですが、ゴヤ・フリオ氏が彫刻展を開催中ということで、恐る恐る入ってみました。
したら、ここはどこ?っていう感じで、デージびっくり。
環境はリゾート・ホテル、施設はチョーモダン。歩いているのは外国人。ウチナーはどこ?って帰りたくなりました。
しかし、フリオ氏はさすが国際人。臆することなく、普段の調子でひょうひょうとしています。


入口から続くトンネル部分。ここを抜けると、大きな吹き抜けのホール(ダムの水を溜める所みたいです)があり、カッコいいエレベーターで、上に上る仕掛けです。


エレベーター・ホールに立つフリオさんと作品。


玄関外に置かれたフリオさんの作品。白い金属の、たしか「馬」だったはず(間違ってたらゴメン)。
ほとんどが金属で、鮮やかな色使いが多いフリオさんの作品は、この会場によくマッチしていると感じましたが、みなさんはどうでしょうか。県民にはあまり馴染みのない場所ですが、ネタと思って、この機会に行ってみてはいかがでしょうか?
ゴヤ・フリオ作品展は6月末日まで開催中です。
(三嶋)

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