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特定非営利活動法人
沖縄ある記
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喜瀬武原あるき本番

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喜瀬武原あるき本番。どれだけの人が集まるか、直前まで心配でしたが、区長はじめ地域のお年寄りや子供達も参加。結果オーライでしたね。


農村広場に集合し、顔合わせして出発。
散策にはうってつけのいい天気ですね、と知り合いになったお婆さんに声をかけると、だから彼岸用のキクの出荷でみんな忙しいとのこと。この数日がそのピークのようで(知らんかった)、思ったより参加者が少なかったわけが判明した次第。


戦時中の弾の跡が残る壁。何気なく呟いたお婆ちゃんの一言で、みんなビックリ。地元の若いお母さんも知らなかっ田とか。
すぐ近くの拝所、御待毛(ウマチモー)でも、以前の古い祠に弾痕があったということです。


喜瀬武原公民館の名が壁に残る建物の前で休息をとりながら、体験者の話を聞きました。ここには以前、共同売店や精米所もあり、薪や木炭の集積場にもなっていたため、ムラの人たちがいつもユンタクする和みの空間だったようです。
「陸の孤島」と例えられる時代が続いたこの地で、人々は多くの労苦を重ね、現在のムラを築いて来ました。身をもって体験した方々は今、誇りとともにその歴史を子供たちに伝えようとしています。
<三嶋>

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喜瀬武原(キセンバル)をあるく

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一昨年、恩納村の集落あるきを2ヶ所(仲泊・字恩納)で実施しましたが、今回、その続きを喜瀬武原で行うことになり、事前調査に行ってきました。
歴史が浅い屋取集落ということは、前回調べて知っていましたが、「とはいえ今度は何か見つかるかも」と歩いてみた結果、期待は見事に打ち砕かれました。
う〜ん。
こうなれば、聞き込みしかないですね。

集落のほぼ中央。
のどかなキャベツ畑の向こうに見えるのが、キセンバル闘争で知られるようになったブート岳。
かつては住民や学生たちが激しい抗議運動をおこない、連日、新聞をにぎわしていたことを思い出します。体を張った彼らの抵抗に、喝采を送っていた人たちも多いでしょう。なので、“キセンバル”と聞くと、何か熱くなる気がしますね(ボクだけか?)。

かつての公民館。1階は売店です。
店の前の県道104号線を飛び越えて、かつては105mm大砲の実弾射撃訓練が行われていたのですが、実は小火器の射撃は今も続いていて、工事現場の騒音のような発射音が集落からも聞こえます。
そういえば、金武町に行った時も聞こえていたなあ。
日常に同化して見えにくくなっている戦争に、こちらも馴れてしまっているのだなと反省です。
<三嶋>

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おじいさんが笑った

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恩納村で展開する字歩きの第2弾。「字恩納を歩こう」を開催しました。
公民館に集まった地元の方は20名弱。
すべておじいちゃん達で、いかつい顔の先輩たちを前にどうしようかと思いましたが、今回も玉城さんの巧みなリードで盛り上がり、盛況のうちに終えることが出来ました。
最初とはうって変わって、途中からお喋りになったおじいちゃんたちを見て、こちらも嬉しくなりましたし、いろいろな話も聞けたので収穫の多い歩きになりました。
とにかく、みんな楽しそうだったので何よりでしたが、それにしても、やっぱり玉城さんの島クトゥバは最強ですね。


恩納ナビーの歌碑で知られる恩納松下。
現在の松の大木のそばには、かつて生えていた松の根っ子も。


赤平森(アカヒラムイ)ふきん。
西側はくぼ地になっていて、反対側の高台あたりにかつて我那覇集落がありました。そこから南西方向に向かってはチャラチャラグーフと呼んだ宿道があったようですが、今回はそこまで行けないので、こちら側でユンタクです。斜面の下にすむ家のご夫婦も呼んで、いっそうお喋りが弾みました。


赤平森(アカヒラムイ)の拝所。恩納共同売店(沖縄最大の共同売店だそうです)から左折した先にあって、かつての集落(古島)の方を遥拝する場所のようです。
祠の「ブロックがなんか変」と思って近寄ってみると、小さな貝殻や砂が混じっているのを発見。
本土復帰前後の開発ラッシュの際に、あちこちで建設用の砂が足りないということで、水洗いしない海砂を使って急場をしのいだ話もあちこちで聞くので、その名残ではないでしょうか(たぶんだけど)。
(三嶋)

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仲泊ワークショップ報告

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恩納村仲泊で開催したワークショップが、無事終了しました。
恩納村教育委員会と仲泊公民館の協力で、地元の方にも大勢足を運んでもらい、好評だったように思います。
特に地元のお年寄りや、関係者の声を直接聞くことができたのは、有意義だったのではないでしょうか。現場まで同行してもらい、そこで体験した話や伝承を聞く機会は、地域の方でもそう多くはないでしょう。ましてや、われわれのような外部の人間はなおさらです。
地域散策は、ともすれば難しい歴史や文化財情報などを、一方的に聞かされがちですが、参加者と地域の方が一緒に学び、楽しめるような流れをつくることが、重要ではないでしょうか。
そういう意味では、今回ガイドをお願いした玉城さんのような、事前調査と地元の方との懇談を重ねた上で当日にのぞみ、島クトゥバを駆使しながら状況に応じて参加者の話を引き出していくスタイルは、われわれが目指す新しい形なのではないかと思いました(すこしホメすぎですが)。


仲泊公民館そば。撮影:玉那覇善秀


四つ角に立ち止まり、いつから、何のために建っているのか分からない“メントー”という不思議な石について、仮説や思い出などをみんなで語りあう。
93歳でもみんなと一緒に歩き、たくさん語ってもらったおばあちゃんの笑顔が、参加者の気持ちを代弁したいたのではないでしょうか。
(三嶋)

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南恩納の農業用水路

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恩納村には、字恩納から分離した南恩納という字があります。
かつては、東側に接する金武町屋嘉から、山を越えて運ばれた山原の物資を船に積み替え、ここから那覇に送っていたこともある交通の要衝です。
というようなことを調べ、現地に行ってあれこれ見て来たのですが、思わず足を止めたものがあったので、今回はそれにフォーカス。
紹介するのは、恩納小中学校の裏から、国道58号に並行して走る水路に架かる、コンクリートの用水路。これまで何度か通った道ですが、気づきませんでした。道路で断ち切られているものの、東西に延びるラインはうかがえますが、どちらもその先は草むらに隠れて確認できません。
文献では水路の西側には我那覇という部落があり、宿道も通っていようです。
また、大昔は浅い海が続く土地で、それが徐々に陸地化して間にこの川(水路)が残ったという話もあります。


水路をまたぐ用水路の跡。たぶん、稲作が盛んだった1960年代までは周囲に水田が広がり、この水路にも勢いよく水が流れていたのでしょう。
そういえば、各地で高架の用水路を撮影していたので、ついでにそれも引っ張り出して紹介します。


名護市安部に残る用水路。国道331号をまたぐ橋脚部分の高さは、おそらく沖縄一ではないでしょうか。


金武町金武に残る用水路。最近完成した金武ダムの貯水池にも残っていて、水位が下ると時おり顔を出す事があります。


伊平屋村我喜屋に残る用水路。伊平屋島は稲作がまだ盛んに行われているためか、この用水路はまだ現役のようです。
(三嶋)

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