報告会終了
2013年5月21日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0

先週の日曜日(5月19日)、「地域文化支援ネットワーク(沖縄ある記)報告会」が、おかげさまで無事終了しました。
お忙しいなか名護や嘉手納、知念からも参加いただき、ありがとうございました。
プロジェクターが不機嫌で開始が遅れ、用意した資料を全部公開できなかったので、入り用の方がいればお知らせください(せっかく作ったし)。データをお送りします(いらないか?)
次の機会には(いつになるかな?)、またご参加のほどよろしくお願いいたします。
(三嶋)
5月19日(日)に報告会開催
2013年5月8日 Category: 案内 Comment : 0

NPO法人地域文化支援ネットワーク、通称「沖縄ある記」では、以下の日時と場所で活動報告会を開催します。
●5月19日(日)1時〜3時
●県立博物館・美術館 県民ギャラリースタジオ(美術館1階奥)
堅苦しいものではなく、これまでの活動をふり返っての反省や課題をもとに、地域歩きやアーカイブについてユンタクができればと考えています。
ご用とお急ぎでない方は、どうぞお立ち寄りください。
(三嶋)
安謝トンネル
2013年5月1日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0


「那覇新都心かわら板」に、安謝のトンネルのことを書きました。
トンネル(といっても国道58号下の通路?のことですが)とその周辺は、地域の戦後史が垣間見える場所です。
このあたりは、戦前まで安謝川の河口から続く湿地帯、原野だったようです。
戦後、米軍が旧県道(現国道58号)をかさ上げして、軍道(1号線)を建設した際、東西に分断された部落をつなぐ必要からトンネルが造られました。現在の安謝市営住宅付近から琉球新報社あたりにかけては、戦前まで往来する荷馬車には辛い急坂だったため、所によっては10mほどもかさ上げされたようです。
町としてのにぎわいは、皮肉にも1953(昭和28)年4月に米軍が安謝の土地接収を強行したことに始まります。安謝小学校の南側などに居住していた人々が、周辺にあふれるようになり、小学校前の通りに商店街が形成されるほどになったのです。
トンネルの中にはマチヤグヮー(雑貨店)もでき、行き交う人々に親しまれていたそうですが、現在の高架橋が造られた1991年ごろ、店じまいしています。
寂しくなってしまった商店街を歩くと、かつて響いたであろう売り込みの声や笑い声が、かすかに聞こえるようでした。
(三嶋)
喜名マップが完成です
2013年4月30日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0



読谷村喜名の地域マップ「ちなーマーイ」ができ上がりました。文化庁の事業の一環で、昨年の座喜味編に続くものです。
喜名部落の中心地は、ペリー一行が立ち寄った話で知られる喜名番所をほぼ真ん中にして、国道58号から東が戦前、西が戦後とはっきり別れます。戦前までのもとの部落が、知花弾薬庫の土地として接収されたため、西側に移住せざるを得なかった分けです。
今では黙認耕作地となっている地域に本来の集落があった分けで、戦前の風景を覚えている方々とかつてのムラの跡を歩くと、懐かしさと寂しさが交錯しているようでした。
今回の地図も、前回同様に島袋美由紀さんの手描きイラスト&解説です。楽しんで読んでもらえればと思います(一般への配布予定はないけど)。
(三嶋)
繁多川のカーと真珠道
2013年4月29日 Category: Myある記 Comment : 0



那覇市繁多川は、首里城の南を流れる安里川を挟んだ反対側の高台で、識名霊園を少し含む地域です。
水が豊富な所として知られ、そのため昔から豆腐屋さんが多かったようです。
この日は、識名宮の近くにあるウフカー(大川)と、ボージガー(坊主川)に立ち寄りました。ボージガーでは、ザリガニや魚捕りに夢中の子供たちに遭遇。今では珍しい光景ですね。
カーの前の道は、守礼門から金城町を下り、識名坂を登って続く旧道、真珠道(まだまみち)。外敵の侵入に備えるため、那覇港と首里城をつなぐ軍用道路として整備されました。
大通りを横切り、識名霊園の方に向かって小道を進むと、三差路に解説板を発見。住民の地域に対する愛着がうかがえてイイものですね。
繁多川に関する記事は新聞でよく見かけますが、地域活動が盛んな所で、伝統文化の継承や在来種の再生などに積極的な印象です。教えられる事が多いので、これからも注視していきたいと思います。
(三嶋)
