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特定非営利活動法人
沖縄ある記
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高倉の葺き替え

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 名護博物館にある高倉が化粧直しをしています。
 古くなった屋根を葺き替える大仕事で、材料のタケ(琉球竹)を集めたり、技術をもったお年寄りの助けを借りたり、博物館はこのところ大忙しのようです。
 外野からは応援しかできませんが、手仕事の伝承という意味からも、しっかりとデータを残したり、後継者を育成したりして欲しいところですね。
(三嶋)

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汀間の散策に行きました

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 名護博物館主催のワークショップに参加し、名護市の汀間(ティーマ・ていま)に行ってきました。
 汀間川にかかる嘉手苅橋の工事はまだ始まっていないようなので、対岸に渡り「1962年3月竣工」と刻まれているのを確認しました。カマボコ形の欄干のデザインが、何とも味があります。
 汀間の集落は山原船の寄港地で、明治・大正期にはマキや炭、木材の積み出しでにぎわいました。
 山原船は現在の三原の共同売店あたりまで川をさかのぼっていたようで、船の帆が引っかかるため、それまで橋は架けらなかったのでしょう。以前は渡し舟が使われていたそうです。
 橋からも見える対岸の御嶽には、新しい鳥居が建っていますが、壊れた以前の鳥居が近くに置かれていました。注目はその中が空洞になっている点。資材不足を補うために木材を芯にしていたため、中が腐ってコンクリートだけになったんですね。
 糸満市の金城善さんから聞いた話では、戦前の墓石や建築物には、竹や木材がよく使われたということでした。

 御嶽からそのまま川沿いを歩くと、右手に山が見えますが、そこに猪垣(いのがき)があるというので見せてもらいました。
 石を積み上げた大宜味や国頭の猪垣と異なり、盛り上げた土の上にテーブルサンゴを乗せた形です。放置されてかなり経つためか、崩れてしまい、それと分からないようなカ所もありました。
 築かれた場所や長さなども、今では正確にわからなくなっているようですが、一部を見るだけでも、自然の力に抗いながら暮らしてきた、人々の執念のようなものがヒシヒシと伝わってきました。
(三嶋)

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撤去工事が始まった嘉手苅橋

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 名護市汀間(ていま・ティーマ)の、汀間川にかかる嘉手苅橋の撤去工事が始まっています。
 白砂が広がる河口にあるこの橋の、竣工年は確認していませんが、1960年代のものと思われます。味わいのある橋がまた一つなくなりますね。
 橋の名称「嘉手苅(かでかる)」は、村の発祥の地とされる対岸の土地のこと。すぐそばに立つ鳥居はその拝所です。
(三嶋)

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コージン先生の畑

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 久しぶりに名護に行ったので、コージン先生の畑を訪ねました。
 ダイコン、キャベツ、セロリ、ネギなど、元気な野菜で畑はいっぱいでした。大きく葉を広げた姿は、今にも倍速でぐんぐん成長していくような勢い。これも牛糞パワーでしょうか。見ているだけで、こっちまで元気のおすそ分けがあるような気になります(先生の元気は相変らずそれ以上でしたが)。
 咲き始めたピンクのサクラと、青々とした畑のコントラストは絶妙でした。
(三嶋)

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水明橋

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 名護市安和の水明橋(すいめいばし)に行ってきました。
 1933(昭和8)年7月に完成した初代の橋は、沖縄有数の美しいアーチ式のコンクリート橋だったようです。
 本部と屋部(現名護市)を結ぶ道は、海に突き出すガケに邪魔され、山越えの細く険しいルートしかなかったため、難工事の末に完成したこの橋で、本部半島が周できるようになった意義は大きかったと思われます。
 写真の橋は1962(昭和37)年12月に完成したもの。
 近隣町村を結び、その発展に欠かせない存在でしたが、やがて海岸沿いに新しい道路が建設されるとその役目を終え、今は埃にまみれて忘れ去られようとしています。
(三嶋)

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