浦添城跡・前田高地をあるく
2023年1月28日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
今年、1回目の定例散策を行った。場所は予定を変更して浦添城跡と前田高地である。首里城以前の王城である浦添グスクは、上るティダ(太陽)を称えたことで知られるだけに、新年にふさわしく、明るく年頭を飾ろうかとのこじつけでもあるのだが。
前田高地は4、5年前のハリウッド映画、「ハクソー・リッジ」の舞台であり、その影響で訪れる人も増えている戦跡。知らない人もいるのではと考え、再訪してみることにした。
映画公開の影響が続いているのか、同地を訪れるアメリカ人と思われる人々もちらほらと見られた。
彼らの父や祖父の血と涙が、この地を濡らしたことをどう思うのか、そして今も居座り続ける米軍基地をどう考えるのか、聞いてみたい気もするが、日米の国の壁は個人の思いなど構わない。78年前の凄惨な闘いなどなかったかのような陽気のもと、しかし有事になれば沖縄は再び戦場になるという現実を、改めて噛み締めた。
来月12日は、「糸満ある記」を予定しています。興味のある方はご参加ください。詳細はご連絡いたします。
<三嶋>
上大謝名・真栄原あるき
2022年12月27日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
12月の定例あるきは、宜野湾市の上大謝名~真栄原。
那覇に居てはつい忘れがちな、普天間飛行場を間近に眺め、赤線地帯だった旧「真栄原新町」の現在を確認することが、おもな目的であった。
上大謝名(うえおおじゃな)は、もともと大謝名だったが、戦後、多くの人々が流入して人口が増加したことから、1979年に大謝名から独立した字。
大謝名は那覇とコザの中間にあって、牧港や普天間の基地に近いことから、1号線沿いに店舗が立ち並び発展してきた。
1950年代から外人住宅が増え、そのご軍用地の開放が進んだことで、一層にぎわうようになったが、普天間飛行場を離発着する米軍機が居座ったままの状況は、今もかわらず続いている。
ちなみに普天間飛行場は、沖縄戦が続いていた1945年6月に米軍が建設し、8月には2本の滑走路も完成している。
基地が出来たあと、その周りに住民が住み付いた、と本土の作家が書いて話題になったことがあるが、それはまったくのデタラメ。もともとそこには住民の土地や家があり、米軍がそれを強制的に奪って基地を造った歴史は変えようがない。
しかし、女性の人権保護や青少年の健全育成を目的に、2009年頃からは市民総ぐるみの環境浄化運動が盛んになり、2010年には伊波洋一宜野湾市長の方針もあって市民参加の浄化運動が展開された。
そのため、2009年に110軒あった店舗の9割が閉店するほど街は衰退し、その後は廃墟のような場所と化してしまった。
かつての建物は次第に消え、これから街は生まれ変わっていくのだろう。
売春をもちろん是認するわけではないが、人々のさまざまな思いや、ざわめきが詰まった街が姿を変え、戦後史のひとつが消えてしまうかと思うと、複雑な心境ではある。
エリアマップ
<三嶋>
島添大里グスクある記
2022年11月19日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
11月の定例ある記は、HPでも参加者を募集した南城市の島添大里グスク。9月にはグスク隣の西原集落、10月にはその南に位置する大城と歩き、いよいよ本丸が登場といったところだろうか。
天候不順が続いていただけに、朝から雨を心配だったが杞憂に終わり、なんとか無事終了した。
解説は9月に続いて新垣一也さん。素人にも分かりやすいシャベリで、とっつきにくいグスクの話や歴史も、何だか身近に感じることが出来た。
この後、カニマン御嶽の下側にある遥拝所や、大御嶽の遥拝所を回ったが、一般庶民はそこまでしかグスクに近寄れなかったから遥拝所が必要だったとのこと。最初に見たウタムトゥノーイあたりから、カニマン御嶽までは城内であることから、関係者というか身分の高い人しか入れなかったということだ。
なるほど、本来なら、今日訪れたほとんどの場所は、ボクらのような庶民は見れなかった分けか。
島添大里グスクと、その周辺の村々を3回にわたって回ったが、これにてひとまず卒業。三山が統一される以前の時代、首里が王都として栄える以前の話だから、いたる所で謎が渦巻き、古のロマンに満ちていたという印象。
グスクの話も、お城の人々がどんな暮らしだったのかとか、何を考えていたのかだとか想像を巡らせると、よく分からなくても、身近に引き寄せて感じられるし、それなりに楽しめるのではないだろうか。古の痕跡をたどる楽しさを、満喫した次第である。
新垣一也さんありがとうございました!
<三嶋>
久場崎の引揚者上陸記念碑
2022年11月1日 Category: Myある記 Comment : 0
中城村の久場崎にある引揚者上陸記念碑が、移設されたと聞いたので確認に行ってきた。
それまで会社の敷地内にあったため、気づかなかった人も多いだろう。
新しい場所は、誰にも気兼ねせずに当時の姿を忍び、痛ましい時代の記憶と平和の尊さを後世に伝えるものになるのだろうと思ったのだが、あにはからんや、ただ場所を移しただけで、荒地に放置したようにも見える。
これでいいんですか、と天を仰いだ。
本土からの船を降り、この地に戦後沖縄の第一歩を記した人々は約10万人。その後、多くの人々が復興の担い手となっただけに、この地はまぎれもなく戦後沖縄の出発点の一つだ。
しかし、戦後沖縄の社会は生活にかまけ、さまざまな戦後の記憶を置き去りにしてきた。この記念碑もその一つだろう。
最初の引揚者の記念碑が建立されたのが、戦後50年経っていたことだけでも、そのことは明らかだろう。戦後50年もの間、引き揚げ者の苦労や思い出が、記念碑などの形で公式に慰撫されることはなかったのだ。そして、建立される時には、この地はすでに企業のものとなっていたのだろう。
戦後沖縄の歴史が、あまりにも軽くぞんざいに扱われている。
<三嶋>
「島添大里城跡ある記」参加者募集
2022年10月31日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
2022年11月12日(土曜日)、「島添大里城跡ある記」を開催します。
9月に、大里グスク南側の西原集落とギリムイグスクを歩き、10月に大里グスクと関係が深い大城城跡と集落を訪ね、今回、いよいよ大里グスク(島添大里城跡)を探索します。
当日の案内・解説は、中城教育委員会の新垣一也氏にお願いしてあります。新垣さんは大里出身で以前、南城市教育委員会にいた際に大里グスクについてもいろいろ調査・研究していた方です。
今回は対象がシロートなので、難しい話ではなく、ボクらのレベルに合わせた、面白くて分かりやすい話をしてもらえるものと期待しています。
暑さも和らいだこの季節、みなさまのご参加をお待ちしています。
よく分からないことが多い島添大里グスクですが、あちこちに残る拝所を訪れたり伝説などを聞くと、いっそう興味が深まることは確実です。
●実施日:11月12日(土曜日)
●時間:午前9時30分~11時30分
●場所:大里城址公園体験交流センター前集合
●参加費:自由(基本タダです)