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『アメリカ世の軌跡』発刊です!

 Category: 沖縄ある記  Comments : 2


お待たせしました!

昨年秋から制作していた書籍『アメリカ世の軌跡』がようやく完成し、発刊することが出来ました。

A4版・191ページ・カラー・2800円

いや〜長かったですね。見るたびに誤植や言い間違いが見つかって、修正を繰り返したので、やたら時間がかかってしまいました。

しかし、沖縄の戦後から「復帰」までの政治・経済・社会の動きを、詳細な年表と写真で綴った書籍はこれまであまり見たことがないので、画期的ではないでしょうか。自画自賛になりますが、「復帰50周年」だからこそ、復帰以前の戦後を知る必要があると思い制作した次第です。

いろいろ突っ込みどころがあると思いますが、どうぞ手に取ってご覧ください。

<三嶋>

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椿食堂と当之蔵界隈

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先日、首里にあった椿食堂の方の話が新聞に掲載されていたので、そういえば昔、撮影したことがあったと思い出した。

それで引っ張り出したのが以下の3点の写真。いずれも1995(平成7)年8月の撮影である。

椿食堂。学生時代は、間借りしていた所から少し遠かったからか、行ったことはあまりない。すぐ近くに沖縄ソバで有名になった「さくら食堂」があったが、こちらも行った記憶はあまりない。卒業したころ閉店したように思う。
椿食堂のメニュー。400円、500円、600円といたってシンプル。(新聞にもあったよう)椿食堂は当時、近くにあった県立博物館の職員がよく利用していた。

自分はこの店より学校に近い食堂の方によく行った。確か230円の野菜炒めをよく食べていたように記憶している。椿食堂のメニューを見ると、「野菜おかず」が500円だから、約20年で2倍を超えるぐらいになる計算だ。

当蔵交差点。赤瓦の家は長い間あったように記憶している。角の所の板壁(写真では見えない)が、首里劇場のポスター掲示用のスペースで、扇情的なピンク映画のタイトルが、赤い筆文字で書かれて貼り出されていた。 交差点から向こうに走る小道が、前述の食堂(名前が思い出せない)や椿食堂に続く通りである。

龍譚通り沿いが観光とのバランスをとりながら再開発され、モダンで綺麗な建物が並ぶ現在の「当之蔵」(「当蔵」?)に、残念ながらボクらが生活していた頃の雰囲気はあまり残っていない。

首里城にも琉大の痕跡はほとんどない(記念碑があるけど)ため、ろくでもない学校ではあったにせよ、「跡形もないのはどうよ」と天邪鬼の血が疼く。

アメリカ世の遺産(傷痕)にフタをしたいのか、と日本政府の思惑を勘繰りたくもなるが、いい悪いは別として、特異な大学があったことは歴史的事実だからねえ。

<三嶋>

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風樹館あるき

 Category: 沖縄ある記  Comment : 0


今月の「ある記」は6月11日、風樹館見学であった。

風樹館は、企業家の金城キクさんが寄贈して出来た、琉球大学の資料館(博物館)。

首里から西原に移転して建てられた現在の建物は、建築家・金城信吉の設計。那覇市民会館の設計で知られるが、完成を見ることなく亡くなったため、最後の作品となったものである。

沖縄ある記の会員でもある、学芸員の島袋美由紀さん。
沖縄に棲む最大・最小の昆虫標本を見ながら、地域の特異性に納得。
風樹館にはさまざまな生き物の標本が置かれているが、代表選手はやっぱりヤンバルクイナだろうか。港川人がいた約1万8千年前には本島全域に生息し、飛ぶことができたと考えられているそうだ。過去の骨格には胸の所に筋肉を支える骨が見られ、現在の骨にはなくなっていることから推測されるようで、なるほどと感心する。

ジュゴンの骨とイノシシの骨を持って比べ、前者がはるかに重いのは、水中で生活する上で獲得した特性だとのこと。実際に触りながらの解説には説得力がある。なるほどねえ。

たくさん置かれている骨格標本はどれも美しい。小さく繊細なパーツが絶妙につながり、理に沿った動作を宿主に授ける様は、迷いと失敗ばかりの人間を嘲笑うかのようではないか。彼らのシンプルで潔い行動原理が、こんな時代だからかうらやましくもある。

ギリギリの人員と予算で、志と思いのある人々に支えられているこの風樹館。膨大な時間のなかで費やされてきた、地球の歴史や生物の営みに思いを寄せ、個人や国の利益で奔走する人々の愚かさを笑うには丁度いい、静けさに満ちた知的空間である。

<三嶋>

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さよなら首里劇場

 Category: Myある記  Comment : 0


首里劇場が閉館するため、「内覧ツアー」をやるというので行ってきた。

天も味方したのか久しぶりに晴れ間がのぞき、集まった人たちの沈みがちな気持ちも、少しは救われたのではないだろうか。

ペンキも剥げ落ちて痛々しい

学生時代には、近くの当之蔵や赤平に住んでいたこともあったので、時々足を運んだ。「エデンの東」のリバイバル上映や、ベトコンのサイゴン解放のニュース映像など観た記憶が蘇る。

その後ピンク映画専門館になり、社会人になるとほとんど関わりがなかったが、無くなるとなると、それはそれで寂しくなるものだ。

舞台の両袖にしつらえられた花道が、芝居小屋だった当時を忍ばせる。
こんな形式の建物は、今ではどこにも残っていないだろう。
舞台裏に残るカマドの跡。
芝居を演じる劇団員は舞台裏に泊まり込み、この場所で自炊したとのこと。
すぐ外に井戸も残っている。
1階と2階の観客席。左右の通路に余裕があるのは、芝居の際に必要なのだろうか。当時のものと異なるが、座席に残る長い木のベンチには、当時驚かされたことを覚えている。2階席は復帰後に使われなくなったとか。消防法とか小難しい法律が、従来のやり方を許さなかったのだろう。

崩れかかった建物のあちこちを案内してもらっていると、沸き起こる人々の歓声や笑い声が、ふっと脳裏に浮かび上がる。辛い浮世をしばし忘れる地域のオアシスが、またひとつ消えてなくなった。

<三嶋>

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『アメリカ世の軌跡』校了

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昨年から制作していた書籍『アメリカ世の軌跡』が、ようやく校了となった。

いろんな人の協力を得て感謝にたえないが、何とか形にすることができると思うと、嬉しさがこみあげてくる。同時に、しっかりと氏名が残ることの怖さにも苛まれる。

書籍では、27年間の年表を柱にしているため、間違いは許されないと校正に多大な時間をかけた。しかし、それでも問題は出てくるであろうと、今から覚悟している。

復帰してよかったと考える住民が多くを占める沖縄で、復帰前の沖縄の姿は次第に遠ざかり、霞んでいくようである。

復帰前を体験はしていないが、同時代に思春期を生きていた自分は、当時の沖縄の状況を掘り起こし、どんな事が起こり、誰が何をしたのか、出来るだけ知りたいと思う。そして、それらを次の時代に残すことが必要だと考える。これからの社会をよりよいものにするためには、先達がつくった歴史に学ぶことが不可欠だからである。

そのためにも、身の丈知らずの思い上がりかもしれないが、日本ではなかった沖縄の姿を本書の年表と写真でご覧いただき、豊かになっていく暮らしぶりや地域の姿、今も変わらない基地、政治状況などを確認していただければ幸いである。

本当に、復帰してよかったんでしょうかね?

宣伝用のDM

<三嶋>

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