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沖縄ある記

 

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特定非営利活動法人
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ひまし油

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「十・十空襲」70年目のこの日、ヤンバルの正敏さんを訪ねました。
帰り際、庭に「ひまし油」のもとがあると教えてもらいパチリ。
名前だけは聞いていましたが、見るのは初めてのはず(これまで気づかなかっただけかも)。
帰って調べると植物名はトウゴマ、別名ヒマ。沖縄名はチャンダカシーとあります。
トゲトゲのある丸い種子の形状から、ダニを意味するラテン語の学名が付けられたようですが、ちょっと可哀想。


「ひまし油」は、このトウゴマの種子を絞って採る油。エンジンの潤滑油などにも使われたほか、塗料や石けんなどの工業製品の原料として使用されているようです。


また、最近は、天然植物油として、医療や美容などでもいろいろな使い方がされているとネットで見ました。
幅広い可能性があるように思いますが、ヤンバルの新しい資源として、誰か開発にトライする人はいませんかね。
(三嶋)

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「辺野古ある記」顛末記

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沖縄ある記の自主講座として、辺野古の集落内を実施しました。
が、当日は台風の影響で天気が変わりやすく、時おり強い雨が降るので途中で断念。あきらめて海岸に行けば、右寄りの人たちがテント村に詰めかけて日の丸を振り、一触即発といった状態。
辺野古の反対運動をそこで聞く予定でしたが、それどこじゃないので断念(どうしてくれるんだ!)。消化不良のまま名護博物館に移動して解散しました。ふ〜。多少の資料も作って準備していただけに、モヤモヤ感が残りましたが、これで終わりではないぞ、と誰に向けていいかはっきりしないままリベンジを誓った次第。
そのうちに「辺野古ある記」続編をやりたいと思いますので、その際にはみなさまの参加をお待ちしています。
と、こちらも、それまでには、もう少し現場を知らないといけないなと感じました。
政治の話、基地の話だけで語られる辺野古ですが、集落の歴史や暮らしに関する情報が、そこに欠けているように思うのは自分だけでしょうか。書物やネット情報だけでは分からない、地域の空気や住民の暮らしに視線を向け、そこにあった記憶やエピソードの断片を集め、みんなで共有する事が、何より大事なのではないかと考えるのです(えらそうに言ってごめんなさい)。

辺野古集落西側の通り。坂を登った右側に、「アップル・タウン」と名付けられた歓楽街(の跡)が広がっています。

辺野古公民館北側の森にある、ニーヌウタキ(子ノ御嶽)。
辺野古の人々は当初、辺野古川の南側の丘陵地(前上原)に住みついたとされ、そこから子(北)の方角にあるこの地に移転したそうです。現在の集落はここからさらに東側に広がっていて、クシヌウタキ(後御嶽)が作られました。

突然の大雨に追われ、神アサギに避難。ガイドを買って出た玉城一男さんの話を、地図を見ながら聞く。
(三嶋)

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名護博物館の企画展

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名護博物館で、自主企画展「生物の移動展」が始まっています(8月15日〜9月28日)。


同博物館では、やんばる全域を視野に入れたさまざまな活動や展示会を、積極的に展開しています。当初から、市民参画の開かれた博物館を目指すという方向性が明確に打ち出され、 “ブリディ(みんなの手)”という一語に込められたその精神は、開館30年になる今も受け継がれているといえるでしょう。
今回の展示会でも、名護博物館友の会が、学芸員の依頼に応えてさまざまなサポートをしていると聞きました。


古くて狭い展示会場ですが、さまざまな努力の跡が見て取れます。
角に見える鳥のはく製が乗っている義岩は、友の会の人たちが手づくりとか。博物館学芸員と友の会との連携は、博物館活動を維持する上で欠かせません。それは、これからの博物館や行政に求められる体制だろうと思いますが、同館ではすでに30年前から実践していることに改めて驚かされます。


展示会の受付は名護博物館友の会がボランティアで引き受けています。
写真は名護博物館友の会会長の玉城一男さんと、会員の親川明美さん。

名護博物館の、玄関から中庭に抜けるアプローチの心地よさは、来館したことがある方がみな一様に語るところですが、誰もが自由に出入りできる融通無碍な雰囲気と、そこで交わされる地元の人たちの楽しげなユンタクが、この博物館の宝の一つではないかと感じます。
管理や規制が行き過ぎて、ただでさえ高い敷居をますます高くしていたり、入館者数を気にするあまり出来合いのウケル展示会を呼んだり、広告に過剰な力を入れる事例が増えているように感じることが多い昨今、地元に密着した名護博物館の姿勢に、博物館活動の原点をみるような気がしたのでした。
(三嶋)

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辺野古の8.23県民大会に行ってきました

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先週からの流れで辺野古に行くつもりでいたら、県民大会開催の報道。名護からもバスが出ると聞いたので、便乗させてもらいました。
道路沿いの狭い場所で、集会ができるのかと心配しましたが、何とかなるもんですね。
ゲート前に続々とやって来る人たちの列が、フェンス沿いに伸びていき、歩道を埋めつくしたようです(身動きできず、遠くの方はよく見えなかったんですが)。
そして、シュプレヒ・コール。次々に登壇する人たちのあいさつに、炎天下に立つ参加者が汗だくで応え、会場はヒートアップ。ヘリ基地反対協代表の安次富浩さんが、叫びに近いあいさつを述べると、ひときわ大きな歓声が上がりました。

 

 


闘いはまだまだ続きます。
個人として何ができるのかどう向き合えばいいのか、これからもジタバタと悩まされるんでしょうが、それでも、何もしないよりは少しだけイイのではないかと考えます。
学生運動が華やかりしころ「沈黙は共犯だ」という言葉を耳にしましたが、このごろよく思い出すんですよね。
(三嶋)

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辺野古140816

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昼前に着いた辺野古の海は予想したより静かで、いろんな人がやって来ては海を眺め、基地を眺めていました。
異様だったのは、沖合に点々と海上保安庁の船が並んで停泊していること。7,8隻の船はむき出しの「国家」そのものだと感じます。
辺野古はいつも気になる存在でしたが、正面から向き合う決心もつかず、中途半端な気持ちのままだったので、なかなか足を運べない所だったといえます。
それだけに今回、機会をつくってくれた友人に感謝。飛び越えてみたら、自分がハードルを作っていたことに気づいたような気もします。


那覇からバスでかけつけた人たち。


友人の友人で、辺野古に通い続けているシノハラさんの話を聞いたので、本人の許可を得て公開します。
過酷な闘いに身を置いている人とは思えない、柔和で落ち着いた物腰の女性ですが、それは、様々なものを賭してきたからこそにじみ出るものでしょう。


シノハラさんが言うように、あきらめないことが大事なんでしょうね。
ともすれば、したり顔で評論家フージーになる人が多い昨今ですが、頭ではなく、胆(心)や体で世界を捉えたいと改めて思います。マスコミのニュースや、ネットで得た情報にはない、ナマの肉声や空気を感じることがいかに重要か。てなことで、スタンスの取り方にこれからも悩みつつ(たぶん)、辺野古からは目が離せないと思った次第です。
(三嶋)

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