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ハーフムーンヒルが無くなりました

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5月30日付ブログの続編です。
新都心周辺を通る方はお気付きでしょうが、“ハーフムーンヒル”として知られる森が、道路建設によって完全になくなりました。
写真(1997年撮影)に写る姿は何の変哲もない森ですが、昭和20年5月下旬には、すぐ西に位置するシュガーローフとともに日米の兵士が死闘をくり広げた場所です。
日本軍はここに昭和19年夏ごろから陣地壕(真嘉比壕)を構築し、陸軍独立混成15連隊砲中隊102人が駐留したようですが、93人が死亡したという以外、詳しい情報はあまり知られていないようです。戦後には3ヶ所あった壕の出入口もふさがれ、厚生省の遺骨収集が1997年に初めて行われるまで、ほとんど忘れられていたと思われます。
行政の対応にも呆れますが、那覇新都心の復興事業と連動した交通混雑緩和のためか、道路建設ありきともいえる流れでこの山が削り取られていく様は、見ていてたいへん辛いものでした。
心ある人たちが遺骨収集を継続していたものの、まだ遺骨が残っていただろう土を削り、埋め固めて道路が造られたと思うと、やるせない気持ちがあふれてきます。
ここから松川方面に抜ける道路はそろそろ開通します。
せめてこんな山があったことは、忘れたくないものです。
(三嶋)

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ハーフムーンヒル

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那覇新都心通り会の「新都心かわら板」に、「新都心ある記・ハーフムーンヒル」と書きました。
ハーフムーンヒル(半月形の丘)は米海兵隊の呼称で、陸軍はクレセントヒル、地元では「ウフドウムイ(大道森)」と呼ばれた丘です。
真嘉比小学校の南側にある(あった)山です。
放置された墓があちこちに立ち並んでいて、これまで足を踏み入れるような場所ではありませんでしたが、ここがシュガーローフ以上の激戦地で、日本兵の遺骨がまだ埋もれているとは、2008年におこなわれた市民参加の遺骨収集作業に加わるまで知りませんでした。
当日は「ガマフヤー」の具志堅さんの案内で、真嘉比壕や遺骨の発掘作業に立ち合いましたが、街中に現れた生々しい戦争の傷跡に誰しも息を飲む思いがしたはずです。
そこに横たわっていたのは、抽象化された「日本兵」ではなく、1人の肉体を持っていた個人、名前を持っていた亡骸でした。
新聞報道では、この地域に102名の日本兵が立てこもり、93人が死亡したと伝えています。

同地の収集作業は、しかし、新都心から松川方面に抜ける道路工事にせき立てられ、不十分なまま(まだ多くの遺骨が残ったまま)終了します。
具志堅さんたちの粘り強い活動がぎりぎりまでおこなわれていたことは、マスコミ報道などでご存知だと思います。
現在、ハーフムーンヒルの多くは道路に削り取られ、コンクリートに固められた法面をさらしています。
(三嶋)

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那覇新都心の戦い

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 シュガーローフの戦いが、5月12日にはじまったということで、「新都心かわら板」5月号にそのことを書きました。
あちこちで紹介されているので、今更だとは思いますが、どんどん変わる周辺の景観を見ていると、「あの時、この場所」をたえず思い返すことは大事なことだと感じます。
 2000年12月に撮影したこの写真から、現在までの変わりようがわかると思いますが、遺骨・遺品の十分な調査・発掘もまたず、案内板ひとつを置いただけでことを済まして進められた再開発事業とは何だったんでしょうね。そして、その企図と構図は今も変わらないんですよね、きっと。
(三嶋)

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おもろまち歩き

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 おもろまち自治会の方々に混ぜてもらい、新都心界隈の歴史的な場所を歩いてきました。
 現在の街並みから、かつての上之屋・天久・安謝近辺の姿を想像することはほとんど不可能ですが、それでも地元の体験者の話が聞けたり、那覇歴史博物館の学芸員・喜名さんのソフトな解説でいろいろ学べたので、オモシロ楽しく過ごすことができました。
 沖縄の戦後史そのものともいえるこの地の記憶を残し伝えることは、プチ東京化が進む一方の新都心にあって、今後ますます重要になるのではないでしょうか。(三嶋)

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恵比寿神社

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 安謝にある恵比寿神社に行きました。沖縄で「恵比寿」はビールぐらいしか知りませんが、それもそのはず25年前に創建されたばかりとのこと。以前は草木が生い茂る荒れ果てた所で、ハブがわんさかいたいたそうです。
 ここは安謝の小字・義理地原(ぎりちばる)にあり、もともと平敷屋朝敏が処刑された所として知られていました。建物が建つ岩の下に大きな洞窟があり、そこがいかにも処刑場らしいのですが、実際の現場は写真奥だったようです。(三嶋)

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