ハーフムーンヒル
2012年5月30日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
那覇新都心通り会の「新都心かわら板」に、「新都心ある記・ハーフムーンヒル」と書きました。
ハーフムーンヒル(半月形の丘)は米海兵隊の呼称で、陸軍はクレセントヒル、地元では「ウフドウムイ(大道森)」と呼ばれた丘です。
真嘉比小学校の南側にある(あった)山です。
放置された墓があちこちに立ち並んでいて、これまで足を踏み入れるような場所ではありませんでしたが、ここがシュガーローフ以上の激戦地で、日本兵の遺骨がまだ埋もれているとは、2008年におこなわれた市民参加の遺骨収集作業に加わるまで知りませんでした。
当日は「ガマフヤー」の具志堅さんの案内で、真嘉比壕や遺骨の発掘作業に立ち合いましたが、街中に現れた生々しい戦争の傷跡に誰しも息を飲む思いがしたはずです。
そこに横たわっていたのは、抽象化された「日本兵」ではなく、1人の肉体を持っていた個人、名前を持っていた亡骸でした。
新聞報道では、この地域に102名の日本兵が立てこもり、93人が死亡したと伝えています。
同地の収集作業は、しかし、新都心から松川方面に抜ける道路工事にせき立てられ、不十分なまま(まだ多くの遺骨が残ったまま)終了します。
具志堅さんたちの粘り強い活動がぎりぎりまでおこなわれていたことは、マスコミ報道などでご存知だと思います。
現在、ハーフムーンヒルの多くは道路に削り取られ、コンクリートに固められた法面をさらしています。
(三嶋)