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久手堅の豊年祭

 Category: 沖縄ある記, Myある記, スクガー事業  Comment : 0


字知念の公民館で、地域作品展を先日行いましたが、そこで公開した写真の1枚が、久手堅で撮影されたものではないかと数人から指摘がありました。
そこで、この日、字知念の前城さんと確かめた次第で、その結果、指摘された通り、写真は久手堅にある知念中学校の、グランド付近だろうということになりました。

撮影ポイントを探す前城さん。
背後の山の形や、土手の位置などが新旧同じだと思われます。

NPO法人琉米歴史研究会が所有するこの写真は、撮影時期(1950年代初頭)しか情報がなかったので、場所が分かっただけでも嬉しい限り。
豊年祭の一コマと思われますが、同時に撮影されたらしい別の写真も残されているので、今後はそこに写る人たちの何人かでも、どこの誰かが判明するといいんですけどね。
<三嶋>

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知念の戦後を訪ねる

 Category: Myある記  Comment : 0


このところ知念にかかわる事が多いのですが、この日は前城さん、城間さんと、戦後撮影された場所を探して周辺をうろついて来ました。

現在、バス停「知念小学校前」がある辺りから見た、字吉富の風景。
山の上にあるニライカナイ橋の後方に見える山では、戦後、石灰岩の採石が行われています。左の丸い建物は水タンクで、その後に知念団地が見えます。

上記写真とほぼ同じ位置と思われる、戦後間もないころの写真(NPO法人琉米歴史研究会提供)。田んぼが多くを占め、カヤ葺き屋根の家屋が見受けられる。

知念山里から見た志喜屋方面。

ほぼ同じと思われる地点から1952(昭和28)年に撮影された写真。海岸まで美田が広がっていたのが分かりますね。
Vic Krantz撮影、NPO法人琉米歴史研究会所蔵。
遠くにアーヂ島(玉城仲村渠)が見えるが、その北東側には松が生い茂るアドゥチ島があって、米軍が実弾を使った上陸演習を行っていたとか。
前城さんの記憶では、その影響で島を覆っていたマツが枯れたそうです。
南部でも米軍の演習が行われていたのは知りませんでした。興味がそそられる話です。
<三嶋>

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映画「飛べ!ダコタ」

 Category: Myある記  Comment : 0


久しぶりにDVDを借りて観た映画、「飛べ!ダコタ」が面白かったので、報告します。
実話に基づくというこの映画では、戦後すぐの時期、佐渡島に不時着した英軍輸送機「ダコタ」をめぐって、戦争に対する住民のさまざまな立場や感情が描かれ、当時の人々の思いがしのばれて興味深いのですが、特に気になったのは終盤、村長が言う台詞。

村のおばさんたちの「自分たちは戦争に巻き込まれた」という意味の言葉に対し、村長は「国民みんなが戦争をはじめたんだ」という風な言葉を返すのです。
つまり、「天皇や軍や誰か偉い人たちに自分たちは騙された」のではなく、一人一人の国民が責任を自覚することが重要だし、そこからしか戦後(民主主義)は始まらない、というメッセージだと思うのですが、現実は、誰もそれを引き受けないまま、戦後70年が過ぎてしまったということでしょう。
映画でも、このリベラルな村長の言葉に、おばさんたちは「村長の言うことは難しい」という感じで応え、軽くスルーしてしまいます。

沖縄出身の比嘉愛未が熱演しているし、作り手や住民の熱気も伝わってくる、見ごたえある映画ではないでしょうか。おすすめです。


題名になったダコタ(Dakota)は、ネットで調べると、アメリカで戦前に作られた旅客機DC-3を、英軍輸送機として使った際の名称ですね。
ちなみに米軍はC-47 スカイトレインという名で使用していて、ここで紹介するNPO法人琉米歴史研究会所蔵の写真がその機体になります。
1953(昭和28)年11月6日、那覇基地から宮古に向かう際に撮影されたC-47 “Skytrain”。「ダコタ」ですね。
<三嶋>

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知念よいとこ

 Category: Myある記  Comment : 0


気持ちのいい陽気に誘われ、打ち合わせのあい間に知念で撮影。
快晴とはいえないけれど、雲が切れた時を見計らって激写(死語か)。

知念の字山里から。ススキの穂がきれいでした。

知念城跡近くから見た字知念集落。

木創舎から見た太平洋。
<三嶋>

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焼きイモ焼けたけど

 Category: Myある記  Comment : 0


焼きイモの窯を作ったというので、知念の木創舎に行って様子を見てきました。

プロパンガスのボンベの胴体に、扉を付けた簡単なものですが、何となく本格的(?)
城間さん、前城さんの思いつきのようですが、何でも楽しもうとする精神には感心します。
が、美味しく焼くノウハウは誰も持ち合わせていなかったため、焦げたり、生焼けだったりで、時間をかけた割に結果はいまひとつ……。
リベンジしたいものですが、爺さんたちの気力はまだ残っているかな。
<三嶋>

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