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特定非営利活動法人
沖縄ある記
(地域文化支援ネットワーク)

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世富慶橋

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先日開通した名護東道路のトンネルを、初めて通って来ました。
名護東道路は、現在、伊佐川・世富慶間ですが、将来は許田まで伸びるようです。
しかし、西と東にバイパスができたら、真ん中の名護の町はますます素通りされませんかね。
でも、そうなったら、車が入らない静かな町づくりを目指したらいいように思いますね(マジで)。

世富慶(「よふけ」と読みます)には、旧「世富慶橋」がまだ現役で頑張っています。
1953(昭和28)年建設で、国道58号側の北側欄干には、横文字の筆記体で刻まれた文字が今も残っています(写真には写っていませんが)。
「七曲がり」として知られた悪路が、現在の姿に変化していった経緯なども興味がそそられるので、今後の宿題としましょう。
(三嶋)

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新しいビデオカメラ

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バグハウスで新しいビデオカメラを買いました。ちょっと自慢(えへっ)。
なかでも手ブレ補正がスグレもので、歩きながらの撮影でカクカク感がないのにビックリ。そして、この性能がわれわれでも買えるほどになったことに、またビックリ。う~ん時代はここまで来たんですね(われわれが取り残されていただけかも。はは)。

「マルチメディア時代(死語か)」の到来を予感して、バグハウスを20年前(そんなになるのね!)に立ち上げたころからすると、まさに隔世の感。パソコンで何でもつくれるし、情報発信できる時代が本当に実現しちゃいましたね。
デジタルがすべてヨシとはもちろん思いませんが、人の記憶や思い出といったものもふくめたアナログ環境にある情報を、デジタル世代に残し伝えることは、両者の間にいるわれわれの使命ではないでしょうか。そして、無尽蔵の地域情報を記録し、次代に引き継ぐための手段や利活用のノウハウを、早く構築したいですね。
機器の発達に追いつかない現状がまだまだ目の前にはありますが、そのなかでいかに黒子として踏ん張るかが試されているような気がします。
(三嶋)

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駅前通り

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1年ぶりに帰省してきました。
帰るたびに、高校時代まで過ごした田舎町が少しづつ変わっていくことに、複雑な気持ちにさせられます。
写真の駅前通りでは、年ごとに空き地が増えているようです。

しかし、『三丁目の夕陽』の幻想を抱きしめるのではなく、新たな生き方を模索するしかないだろうな、と言い聞かせてもいるんです。自分に。
今の不況や閉塞感は身にしみますが、何とかやり過ごすしかないだろうなと。
政治も経済も行政も当てにならず、みんなが右往左往する状況はこの先も変わらないでしょうが、でも何とか生き延びるしかない。
で、できればそれをギスギスしないで、みんなで楽しくやっていけないものかと考えるわけです。
「何をノンキな」といわれそうですが、リアルな選択の結果が、成長戦略ではなく「共存」だと思うんですよね。
(三嶋)

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コージン先生のゴーヤー

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雨のなか、コージン先生の畑を半年ぶりに訪問。相変わらず元気いっぱいで、雨に濡れてもお構いなし。年中燃えているから、雨で少しぐらいクールダウンしたほうがいいとのこと。脱帽。
土手のサクラや畑の野菜は枝葉を大きく広げ、まさに日ごとに成長している感じ。あちこちにぶら下がっている見事なゴーヤーを見ていると、今年初めての収穫だからとお土産に分けてもらう。やっぱりいい人ですね先生(怖いけど)。

ゴーヤーについて調べると、沖繩では戦前から食べられていたものの、苦くてあまり美味しくなかったようだ。戦後10年ほどで収穫量が増えはじめ、1960年代から一般的なおかずとして再登場したという(琉球新報1997.08.13)。
今では全国区の野菜として大活躍のゴーヤーだが、1959(昭和34)年には、東京のテレビですでに紹介されていたことをご存知だろうか。それも詩人・山之口貘が、自らスタジオで「ゴウヤァちゃんぷるー」を作り解説したらしい(琉球新報1959.10.11)。見てみたかったなあ。
(三嶋)

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ジェンキンズ写真集

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今帰仁歴史文化センターの仲原弘哲館長に、『OKINAWA Isle of Smiles(ほほえみの島・沖縄)』という珍しい写真集を見せてもらいました。
1951年にアメリカで出版されたものですが、調べてみたら、著者ウイリアム・E・ジェンキンス氏について少しだけわかりました。
氏は1950年ごろキャンプ桑江で働いていたエンジニアで、当時42,3歳。18年にわたる沖縄滞在中に、各地でいろいろな写真を撮影したようです。

「沖縄の笑顔は建前ではなく、素直な笑顔だ」と記されているようですが、この写真集からは、当時の人々の暮らしぶりや素朴な表情がストレートに伝わってきます。
琉米歴史研究会が所有する写真にもいえることですが、戦後、困窮の極みであった人々が、信じられないくらいイイ表情をしていることに驚かされます。
ボクらは、この時代の人のような笑顔に、今なれるのでしょうか?
(三嶋)

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