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駅前通り

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1年ぶりに帰省してきました。
帰るたびに、高校時代まで過ごした田舎町が少しづつ変わっていくことに、複雑な気持ちにさせられます。
写真の駅前通りでは、年ごとに空き地が増えているようです。

しかし、『三丁目の夕陽』の幻想を抱きしめるのではなく、新たな生き方を模索するしかないだろうな、と言い聞かせてもいるんです。自分に。
今の不況や閉塞感は身にしみますが、何とかやり過ごすしかないだろうなと。
政治も経済も行政も当てにならず、みんなが右往左往する状況はこの先も変わらないでしょうが、でも何とか生き延びるしかない。
で、できればそれをギスギスしないで、みんなで楽しくやっていけないものかと考えるわけです。
「何をノンキな」といわれそうですが、リアルな選択の結果が、成長戦略ではなく「共存」だと思うんですよね。
(三嶋)

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コージン先生のゴーヤー

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雨のなか、コージン先生の畑を半年ぶりに訪問。相変わらず元気いっぱいで、雨に濡れてもお構いなし。年中燃えているから、雨で少しぐらいクールダウンしたほうがいいとのこと。脱帽。
土手のサクラや畑の野菜は枝葉を大きく広げ、まさに日ごとに成長している感じ。あちこちにぶら下がっている見事なゴーヤーを見ていると、今年初めての収穫だからとお土産に分けてもらう。やっぱりいい人ですね先生(怖いけど)。

ゴーヤーについて調べると、沖繩では戦前から食べられていたものの、苦くてあまり美味しくなかったようだ。戦後10年ほどで収穫量が増えはじめ、1960年代から一般的なおかずとして再登場したという(琉球新報1997.08.13)。
今では全国区の野菜として大活躍のゴーヤーだが、1959(昭和34)年には、東京のテレビですでに紹介されていたことをご存知だろうか。それも詩人・山之口貘が、自らスタジオで「ゴウヤァちゃんぷるー」を作り解説したらしい(琉球新報1959.10.11)。見てみたかったなあ。
(三嶋)

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ジェンキンズ写真集

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今帰仁歴史文化センターの仲原弘哲館長に、『OKINAWA Isle of Smiles(ほほえみの島・沖縄)』という珍しい写真集を見せてもらいました。
1951年にアメリカで出版されたものですが、調べてみたら、著者ウイリアム・E・ジェンキンス氏について少しだけわかりました。
氏は1950年ごろキャンプ桑江で働いていたエンジニアで、当時42,3歳。18年にわたる沖縄滞在中に、各地でいろいろな写真を撮影したようです。

「沖縄の笑顔は建前ではなく、素直な笑顔だ」と記されているようですが、この写真集からは、当時の人々の暮らしぶりや素朴な表情がストレートに伝わってきます。
琉米歴史研究会が所有する写真にもいえることですが、戦後、困窮の極みであった人々が、信じられないくらいイイ表情をしていることに驚かされます。
ボクらは、この時代の人のような笑顔に、今なれるのでしょうか?
(三嶋)

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白いスズメ

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県内新聞両紙で、白いスズメ(アルビノ)の話題が掲載されていました。
そういえば、小生も撮影したけどなあと思いだし、探し出した写真がこれです。
ちょっと茶色いですね。
記録を見たら1995(平成7)年11月・・・エー! 17年前?!

残酷なトキの流れに、しばし固まりました。
そうかこの年は初のCD-ROM『沖繩の野鳥』を作った年。バードウォッチングにハマッテいたんです。
ヤツガシラ(頭に長めの羽根がある)が庭に来たこともあったなあ。
(三嶋)

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5.15とともに、北中城写真展が終わりました。

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 12日からおこなっていた琉米歴史研究会の写真展が、15日終了しました。
今回は(ボクが)思ったより来場者が多く、メモ紙に情報を書いてもらう方法も理解してもらえたようでした。連休中テンパっていた喜舎場さんも最終的には喜んでいたんで、めでたしめでたし。
 また、写真展に合わせて来沖した元米兵・ブルースさん(73歳)と、被写体の人たちとの感動的な再開シーンが何度もありました。
 当時の子供たちやその親・親戚などがひっきりなしに訪れては、ブルースさんと当時を懐かしんだりしていましたが、多くの先輩方が英語で気軽に話す光景には大変驚かされました。基地で働いていた当時の英語が、再開の喜びで一気によみがえったのか、気さくに英語で彼と話し、笑い、ハグしています。それは、戦後のウチナーンチュが再来したようで、あふれるバイタリティーをうらやましいような、まぶしいような気持ちでただ見とれていたのです。(三嶋)

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