続名護の橋(許田橋)
2012年7月18日 Category: Myある記 Comment : 0
先日の世富慶橋に続いて、名護の橋シリーズ(?)の第2弾。
以前にも撮影していたのですが、改めて見に行って分かりました。残念ながら正確な名称も竣工月日も、何一つ残っていません。現在残っている古い橋には、そういう所が多いですね。小さなコンクリート橋の名前などは、もはや地元の人しか知らないとか。
新聞には、1948(昭和23)年8月にコンクリートの橋が架けられた(うるま新報1948.08.27)という記事がありますが、琉米歴史研究会にたまたまあったそれらしい写真を見るとかなり小さいので、その後のものだと思い、また、新聞を探しました(ヒマですね)。
すると、1951(昭和26)年、1号線の舗装道路工事がおこなわれた際に「許田橋」架橋という記事を見つけた(沖縄タイムス1981.12.20)ので、今のところ、1951年竣工ということにしておきます。
詳しい情報をお持ちの方がいれば、お教えください。
(三嶋)

極限のなかの心得
2012年7月12日 Category: Myある記 Comment : 0
1947(昭和22)年7月5日付「うるま新報」に、石川市の養護院(老人・孤児の救済施設)を訪れて、給料を袋ごと寄附した男性が2人もいたという記事があります。
戦後間もない時期で、食事に事欠く人も大勢いるような時代です。犯罪が多発し、人の心も荒廃していたであろうそんな状況でも、「善行」を施す人がいたことは驚きですし、だからこそ新聞も取り上げたのでしょう。極限状態のなかでも、そのような振る舞いをおこなえる大人がいたという報道に、より多くの人が救われたのではないでしょうか。
しかし、震災直後の困難な状況のなかでも助け合い、秩序を保とうとする人々の姿を見ると、案外、人はそういうことができるように元来つくられているようにも思うのです。自分ができるかどうかは自信がいまいちですが(おいおい)、どんなに追い込まれても、利己的な欲望バリバリで生きていく人だけではなく、理性やモラルを失わない生き方を志向する人たちはいると思うのです。
だからといって、闇買いを拒否して死亡した(1947年10月)ことで知られる、東京地裁の判事の態度をすすめているわけではありません。
判事さんの悲劇を引き起こさないためにも、自分を律する以上に、そこいらにいる友人・知人と人生の苦楽を分かち合うことが必要だと思うのです。持ちつ持たれつの縁を大切に、「ケ・セラ・セラ」と笑いながら、困難な時期をやり過ごす知恵(?)は、昔からあったのではないでしょうか。
我欲に走らず、何とか周囲と折り合いをつけながら、みんなが自然体で生きられる社会が理想ではないかと思うんですが、甘いですか?
(三嶋)

変わり続ける土地
2012年7月6日 Category: Myある記 Comment : 0
ホテルや大型スーパーの開業があり、宇地泊がこのところにぎやかである。
この地は市内で唯一、写真のような自然の渚が残る場所だった。牧港川をまたぐようにのびるバイパスが建設される前、コンベンションセンターから南に続く海岸線が埋め立てられる前である。海岸沿いにはターンム畑があり、夏になると一面に広がるハート型の大きな葉が、灼熱の太陽の下で風にゆれていた。
戦前の宇地泊といえば漁業が盛んなムラで、カツオ節もつくられていたそうだ。
イルカ(ヒートゥー)も獲っていたらしく、ヒートゥージと呼ばれた場所(現在は公園)では、収穫したイルカの肉をムラ人に切り分けたと伝えられる。
戦後、「キャンプ・ブーン」に接収されていた土地は、1974(昭和47)年12月に開放されたとはいえ、もはやかつての暮らしに戻ることもままならないまま、人々は水田やターンム畑を耕し、商店や民家が混在する集落を形成したのである。
そして今、田んぼは埋め立てられてオシャレな新興住宅街となり、大きな道路と直線で管理された人工の海岸が、人々の暮らしからいっそう海を遠ざけて輝いている。
(三嶋)

名護十字路は暑かった
2012年6月30日 Category: Myある記 Comment : 0
名護十字路周辺を歩いてきました。地元の玉城さんとそのお母さん、一夫先生とユンタクしながらの(いつものような)ブラブラ歩きです。
このところ、まち歩きのガイド養成や、町角への案内板設置など、名護の動きは活発です。
写真では小さくて分かりにくいのですが、街中には手づくり案内板がありますし、これからも増えていくので(たぶん)、捜しながら歩くといっそう楽しくなるはず。
当日は炎天下でしたが、地元ならではの体験談を聞きながら、市営市場からミドリ町、十字路周辺を散策。
すると、場所も時間も異なる自分の体験も不思議とよみがえり、懐かしいやらほろ苦いやら。
次の機会には、みなさまも是非ご参加ください。イイ汗をかきましょう。
(三嶋)

オスプレイ反対集会
2012年6月17日 Category: Myある記 Comment : 0
宜野湾市の海浜公園でおこなわれた「オスプレイ反対集会」に参加してきました。
クソ暑いピーカンの天気にもかかわらず、お年寄りや家族連れ、子供たちもふくめた5000人以上の人でスタンドが埋まったのは少し感動的。
そして、壇上のみなさんが怒りを込めて撤去を訴えると、スタンドもそれに応えて盛り上りました。
しかし、あえて気になる点を書くと、行政や団体のエライ人たちの話より、高校生(1年生)の女の子の話の方が、みんなには伝わったような気がしたこと。
本当に何かを伝えたいと思ったら、ストックされたワーディング(言い回し)では感情が削がれるというか、共感し辛くなるのではないでしょうか、きっと。
もちろん、話の中身が悪いと言っているのではありませんし、聞きなれた単語や紋切り型のワーディングがなされること事態、悲しい現実を物語っているわけですが(それだけ発言回数が多かったわけですから)。
写真は配られていたストラップ。
こんなやり方もありますね。
(三嶋)
