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特定非営利活動法人
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青島の元宮

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 宮崎の青島に久しぶりに行きました。
 海につき出たこの島は、「鬼の洗濯板」と呼ばれる波状の岩で周囲が囲まれ、亜熱帯の植物が繁茂していることで知られています。
 しかし、宮崎を代表する観光スポットのこの島の中央に、素朴で静謐なこんな神社があったことは、あまり気にしたことがありませんでした。
 驚いたのは、ビロウ(沖縄でクバ)の林が周囲を取り巻いていたことで、思わず古代のウタキ(御嶽)をイメージしてしまいました。
 足下には白い砂が続き、祠の周りは古代から続くクバの森。島に打ち寄せる潮騒をすぐそばに聞きながら、ゆらゆらと木漏れ日が漏れる空間に立つと、自然の中に神を感じた原始の感覚が蘇るようで、ウタキの意味が少し分かったような気がしました。ここは宮崎ですけど。
(三嶋)

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仲良橋

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 那覇市の久茂地川に架かる仲良橋(なかよしばし)。久茂地川は、写真のすぐ上流(東・写真では右)で、安里川と分かれて国場川に注いでいます。
 この辺りは、はるか昔は遠浅の海で、1451年に時の王様・尚金福が造らせた海中道路(長虹堤)が、崇元寺から松山付近まで久茂地川と並行に走っていました。
 仲良橋が当時からあったかどうかはよく分かりませんが、写真のコンクリート橋には、「昭和34年4月10日竣工」の文字が刻まれていました。
 近くにある崇元寺橋(安里橋)や美栄橋は、立体交差やモノレール駅の建設などと合わせてモダンな姿に生まれ変わっていますが、この橋は昭和の感じを残していて、そのギャップに笑ってしまいます。
(三嶋)

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喜納の大きなガジュマル

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 今年度の事業として予定している歩きの予備調査として、読谷村喜納に行ってきました。
 近日中に取り壊されるという喜納公民館に集合し、地元の先輩方に同行してもらいながら、国道58号東側の黙認耕作地を歩きました。
 かつての喜納集落は、この黙認耕作地から、今はフェンスが張られている嘉手納弾薬庫の中まで広がっていたとのこと。
 ペリーの踏査隊一行が宿泊し、松並木の美しさを讃えたというエピソードで知られる喜納番所(道の駅)付近から東が、喜納原というもともとの部落(村内)で、国道58号から西側に広がる現在の集落は、戦後になって開かれた地域ということです。
 畑の中に続く道の配置などは、戦前とあまり変わらないようですが、人々が往来した道だけが残り、家屋や生活の痕跡が消失した土地を歩くのはもの悲しいものがありました。
 写真は「ユーフルダキ」と呼ばれる場所に根を張るガジュマル。
 周りに障害物がないためか、のびのびと美しいフォルムを誇っていますが、根っ子に取り巻かれている香炉を足下に見つけ、その生命力に恐怖すら覚えました。
(三嶋)

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兼箇段に寄せる思い

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 名護市史編さん係のK氏の案内で、名護博物館友の会のメンバーと、うるま市の兼箇段(かねかだん)を歩きました。
 ここはK氏の地元ということで、興味深い場所やエピソードがテンコ盛り。
 いやあ、これだから、どんな地域も侮れない。そして、お会いする方みなさんが、地元に強い愛着と誇りを持っていることに、驚くと同時にうらやましくも思いました。小さな集落だからこそ、先祖に対する思いや地域の絆は、いっそう強まるのでしょう。
 また、集落の周りが、「抱護(ほうご=ホーグ)」と呼ばれる樹林で囲まれているという話は、嘉手納町屋良でも聞いていたので、ムラの概念や成り立ちを考える上で重要だと感じました。
 写真はK氏手づくりの集落マップ。ムラに寄せる愛情が充ち満ちています。
(三嶋)

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熊谷元一氏の写真

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『村の一年 写真で見る日本生活図引 別巻』という、素晴らしい本に出会いました。
長野県の小さな村に住む熊谷元一氏(故人)が、昭和31年6月21日から翌年の6月20日までの1年間、1軒の農家の日常をほぼ毎日撮影した写真記録に、解説を加えた本です。
1年間に撮影された膨大な数の写真は、被写体となった農家の主人が書く「農業記録」に貼付され、1冊のノートとして保存されました。左ページに農業記録、右ページに関連写真が貼られたノートは、見開きが1日の記録になり、1年間の作業や家族の状況がひと目で分かるものでした。

その「農業記録」を踏まえ、撮影から36年を経て平成5年に出版されたこの本には、消えた暮らしを正確に残そうと務める解説とともに、厳しい自然のなかで、力を合わせて生きる家族の姿が納められています。
そして、誰もが力いっぱいに生きる農家の日常が、(体験していないにも関わらず)懐かしく、愛おしさととともに胸に迫ってきます。
しかし、撮影された昭和31~32年は、日本が経済成長し始めた時期。
このころから手作業は機械に変わりはじめ、より早く、より便利な道具や制度が、今に至るまで生み出され続けてきたといえるでしょう。
その変容の是非は問えないかもしれませんが、当時の人々の生き生きとした仕草に、魅了されながらも喪失感を抱くのは、きっと私だけではないと思うのです。
(三嶋)

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