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宇久増(うくまし)橋

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 那覇新都心の北に位置する古島交差点から、「パイプライン通り」に入ったすぐの所にある宇久増橋です。
 「うくます」とも呼ぶようですが、欄干には「うくましはし」と記されています。
 安謝川にかかるこの橋の完成は、1995(平成7)年1月。2002(平成14)年には那覇市の景観賞も受賞しています。
 パイプライン通りは、戦前は軽便鉄道のルートだったことにちなみ、橋にはケービンの車輪をイメージさせる丸い鉄の飾りが取り付けられています。小さいながらもなかなか凝った造りの橋なので、たまにはゆっくりと眺めてみるのもいいのでは。
(三嶋)

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納骨のあとの清め

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 先月亡くなった大城勝君の納骨に、大宜味村まで行ってきました。
 シマの人たちが集まって拝んだあと、家族や縁者でガケの中腹にあるお墓まで行き、無事、納骨をすませました。
 那覇・東京と町場で過ごした彼も、背後には急峻な山が迫り、目の前は海というヤンバルらしいたたずまいの墓地で、ゆっくり眠れることでしょう(静かすぎるかな)。
 お墓からの帰りは、近くの海岸に降り、清めの儀式を経験しました。
 2、3個の小石を海に投げたあと、背の高い草2本をつないで波打ち際に立てた三角の門をくぐり、手を洗うというものです。男女は別々だそうで、男性は向かって右をくぐるということでした。
 肌寒い風が吹くなか、みんなで清めを行い、ふり返って山際の墓に別れを告げました。
(三嶋)

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オスプレイ反対音楽デモ

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 宜野湾市で行われたオスプレイ反対の集会に参加してきました。
 寒かったー。
 けど、思ったより人数が多くて意外。県外からの参加者が多かったですね。ごくろうさまです。
 デモはテレビで見る原発反対の感じ。思い思いの音楽に乗って、楽しかったんですが、70年代のルサンチマンは、こんなことで晴らされるのか? という疑問が浮かんだのも正直なところ。
(三嶋)

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糸満追加取材

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 糸満の追加取材に行ってきました。
 写真のTシャツを市場で見つけ、意味を聞くと、白銀堂にまつわる有名な言い伝えで「意地出らば手を引き、手出らば意地を引け」という有名な教訓とのこと(まったく知りませんでした)。
 もとになった話は、糸満の漁民・美殿(ミドゥン)と、薩摩の廻船問屋・児玉左衛門との交流なのですが、驚いたのは、1964年8月21日の琉球新報に、薩摩の児玉左衛門が志布志の廻船問屋で、子孫が実在する事を郷土史家が確かめたという記事。
 きっかけは首里出身の比嘉景宗氏の調査で、志布志の高校教諭が協力して子孫を確かめたとの事。子孫の旧家には、琉球絣や古銭・焼物なども残されていたようです。
 ネットで調べると、山畑敏寛「志布志港の『みなと文化』」のなかに、左衛門は志布志の廻船問屋であった児玉伝左衛門実好であり、1764 年〜1800年ごろ海運業で活躍、1825(文政8)年、81 歳で没したと記されています。
(三嶋)

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不思議な小川

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 読谷村喜納の3回目の調査に行ってきました。
 集落の西側に点在するカー(湧水)や、部落の道路を訪ねたあと、集落の北東部にあたる黙認耕作地に分け入り、偉い人の墓やゆかりの地などをかなり調べました。
 車を使いながらも今回が一番長い距離の移動だったので、かなり疲れましたが(地元の方々はみなケロッとしてたけど)、山に分け入る時など、子供に還ったようで結構興奮しました。
 さて、この写真は、西側エリアをチョロチョロと流れるごく普通の小川ですが、上流と思われる写真奥の暗渠の入口を捜しても、見つかりませんでした。丹念に調べてはいませんが、写真の向こう側に水気のありそうな場所が見当たらず、途中で消えているようだと地元の方も話していました。宿題ですね。
(三嶋)

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