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糸満追加取材

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 糸満の追加取材に行ってきました。
 写真のTシャツを市場で見つけ、意味を聞くと、白銀堂にまつわる有名な言い伝えで「意地出らば手を引き、手出らば意地を引け」という有名な教訓とのこと(まったく知りませんでした)。
 もとになった話は、糸満の漁民・美殿(ミドゥン)と、薩摩の廻船問屋・児玉左衛門との交流なのですが、驚いたのは、1964年8月21日の琉球新報に、薩摩の児玉左衛門が志布志の廻船問屋で、子孫が実在する事を郷土史家が確かめたという記事。
 きっかけは首里出身の比嘉景宗氏の調査で、志布志の高校教諭が協力して子孫を確かめたとの事。子孫の旧家には、琉球絣や古銭・焼物なども残されていたようです。
 ネットで調べると、山畑敏寛「志布志港の『みなと文化』」のなかに、左衛門は志布志の廻船問屋であった児玉伝左衛門実好であり、1764 年〜1800年ごろ海運業で活躍、1825(文政8)年、81 歳で没したと記されています。
(三嶋)

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不思議な小川

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 読谷村喜納の3回目の調査に行ってきました。
 集落の西側に点在するカー(湧水)や、部落の道路を訪ねたあと、集落の北東部にあたる黙認耕作地に分け入り、偉い人の墓やゆかりの地などをかなり調べました。
 車を使いながらも今回が一番長い距離の移動だったので、かなり疲れましたが(地元の方々はみなケロッとしてたけど)、山に分け入る時など、子供に還ったようで結構興奮しました。
 さて、この写真は、西側エリアをチョロチョロと流れるごく普通の小川ですが、上流と思われる写真奥の暗渠の入口を捜しても、見つかりませんでした。丹念に調べてはいませんが、写真の向こう側に水気のありそうな場所が見当たらず、途中で消えているようだと地元の方も話していました。宿題ですね。
(三嶋)

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安慶田橋

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 安慶田橋(あげだばし)という、小さな橋を見つけました。沖縄市をあちこち走り回り、道に迷ったおかげ(?)かも。コザ保育園がすぐ側にあるせいか、周囲は金網に囲まれています。竣工は1966年6月18日日とはっきり読み取れます。
 その下流(写真では左)にも同じような橋があり、こちらは昭和50年8月31日竣工と刻まれていますが、橋の名前は記されていません。う〜ん残念。
 二つの橋は、「子供の国」の池(もと越来ダム)を水源とする川、そう沖縄島最大の比謝川に架かっています(後で調べたんだけど)。
 そして、この下流が、公園整備された越来城跡の下の流れにつながり、知花を通り、嘉手納町から東シナ海に注ぎます。比謝川って長いですね。
(三嶋)

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糸満の街並み

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 糸満の街並みを、西海岸に出来た新しい道路からながめました。
 那覇から西崎の方には何度か来ていますが、糸満の港をまたいで街に入るルートはこれで2回目。ウネウネと続く近代的な道路に、何だか沖縄的ではないような違和感を感じていたら、降り口が分からなくてしばし迷いました。
 写真中央のボーリング場が目立っていますが、実は閉鎖して結構長く経っています。今は、サスペンス劇場のロケに最適な感じ。
 ボーリングのピンに重なって、遠くに見える丘が与座岳。沖縄戦の激戦地で、現在は自衛隊のレーダーが置かれています。
 ボーリング場から手前(西側)は戦後埋め立てられたエリア。現在、市役所がある方にまで拡張しています。その勢いの陰で、糸満の代名詞である港が取り残されているように思えました。
(三嶋)

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喜舎場から見た普天間飛行場

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 北中城村喜舎場にある、ホテルコスタビスタ沖縄付近から見た風景。
 手前にキャンプズケランの家族住宅地、遠くに普天間飛行場が望めます。天気がイイ日ならきれいに俯瞰できるので、こっち側からの画も、マスコミには使って欲しいところ。
 ちなみに、以前あった旧ヒルトンホテルは本土復帰後の1973(昭和48)年2月開業。その3,4年後の一時期、ここでアルバイトをしていたことがありました。
(三嶋)

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