田港橋
2013年3月14日 Category: Myある記 Comment : 0
田港(たみなと)橋は、東村平良と大宜味村塩屋を結ぶ国道331号にある橋で、塩屋湾に注ぐ大保川に架かっています。
欄干に竣工「昭和49(1974)年3月25日」とあります。復帰2年目、ボクが大学に入学した年ですね。
ゆったりと流れる川面や、周囲に広がる水田の風景を見ていると、まるで田植えが始まるころの本土の田舎のようです。
(三嶋)

糸満ロータリーの追加取材
2013年3月3日 Category: Myある記 Comment : 0
「しまたてぃ」の追加取材で、糸満に行ってきました。場所の再確認と動画撮影が目的です。
バス停の写真のほか、南山王・他魯毎(たるまい)の墓と、墓ン門小(ハーカンジョーグヮー)と呼ばれる、門中墓が集まった場所への入口の写真を掲載します。
詳しくは、『しまたてぃ』63号、ならびにWeb版「しまたてぃ+」を読んでね。
(三嶋)

戦後の写真展、東村で開催
2013年2月28日 Category: Myある記 Comment : 1
琉米歴史研究会の写真展が、東村の「山と水の生活博物館」で始まります(3月1日〜31日)。
中城や南城市などでは何度もやってきましたが、北部で開催するのは初めてになります。
これまで同様に、キャプションはボクの方で追加更新していますが、相変らず詳細不明の写真が多いので、来館者から少しでも情報を聞き取りたいところ。
とはいえ、那覇から東村は結構な距離。片道2時間はかなり覚悟が必要なのですよ。
季節もちょうど気持ちイイ感じになってきた今日この頃、ドライブもかねてご一緒しませんか?
(三嶋)

普天間一区の取材
2013年2月26日 Category: Myある記 Comment : 0
「しまたてぃ」の追加取材で、普天間一区に行ってきました。
普天間三差路から沖縄市側の地域で、戦後一番早く米兵相手の繁華街が形成された場所です。
町はその後、南に位置する本町通り沿いがにぎやかになり、やがて普天間大通りから西側の地域が開放され(1953年)、本格的な都市計画が進められました。
一区はいわば普天間の戦後の出発点といえるのですが、現在その痕跡はほとんどありません。
「ふてんま公園」という高台に登って北側を見ると、いつも日米の国旗がたなびいている、キャンプ端慶覧の在日米海兵隊司令部が屋根ごしに見え驚きました。
(三嶋)

泉崎橋
2013年2月19日 Category: Myある記 Comment : 0
久美橋に続いては、その南に架かる泉崎橋。
もともとは琉球王国時代に造られた石橋で、中国風の三連のアーチ橋は、葛飾北斎の「琉球八景」にも描かれた名橋として知られていました。
しかし、沖縄戦で破壊されたため、現在のコンクリート橋は戦後、1958(昭和33)年8月になってようやく完成しました。
中央が膨れた太鼓型の形状は、石橋だったころのスタイルを踏襲したと思います。
現在の橋が完成した際の新聞を見つけたので、現在の姿と比較(反対側からですが)しました。真ん中が盛り上っているのが分かりますね。
しかし、完成当時、高圧線の鉄塔(米軍使用の)がすぐ側を走っていたことから、橋はできても通れないと大きな問題になりました(無茶苦茶だ)。
(三嶋)
