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戦後の写真展、東村で開催

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 琉米歴史研究会の写真展が、東村の「山と水の生活博物館」で始まります(3月1日〜31日)。
 中城や南城市などでは何度もやってきましたが、北部で開催するのは初めてになります。
 これまで同様に、キャプションはボクの方で追加更新していますが、相変らず詳細不明の写真が多いので、来館者から少しでも情報を聞き取りたいところ。
 とはいえ、那覇から東村は結構な距離。片道2時間はかなり覚悟が必要なのですよ。
 季節もちょうど気持ちイイ感じになってきた今日この頃、ドライブもかねてご一緒しませんか?
(三嶋)

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普天間一区の取材

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 「しまたてぃ」の追加取材で、普天間一区に行ってきました。
 普天間三差路から沖縄市側の地域で、戦後一番早く米兵相手の繁華街が形成された場所です。
 町はその後、南に位置する本町通り沿いがにぎやかになり、やがて普天間大通りから西側の地域が開放され(1953年)、本格的な都市計画が進められました。
 一区はいわば普天間の戦後の出発点といえるのですが、現在その痕跡はほとんどありません。
 「ふてんま公園」という高台に登って北側を見ると、いつも日米の国旗がたなびいている、キャンプ端慶覧の在日米海兵隊司令部が屋根ごしに見え驚きました。
(三嶋)

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泉崎橋

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 久美橋に続いては、その南に架かる泉崎橋。
 もともとは琉球王国時代に造られた石橋で、中国風の三連のアーチ橋は、葛飾北斎の「琉球八景」にも描かれた名橋として知られていました。
 しかし、沖縄戦で破壊されたため、現在のコンクリート橋は戦後、1958(昭和33)年8月になってようやく完成しました。
 中央が膨れた太鼓型の形状は、石橋だったころのスタイルを踏襲したと思います。
 現在の橋が完成した際の新聞を見つけたので、現在の姿と比較(反対側からですが)しました。真ん中が盛り上っているのが分かりますね。
 しかし、完成当時、高圧線の鉄塔(米軍使用の)がすぐ側を走っていたことから、橋はできても通れないと大きな問題になりました(無茶苦茶だ)。
(三嶋)

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久美橋

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 最近、沖縄島北部の橋が、次々に架け替えられています。
 ヤンバルは、戦前・戦後のコンクリート橋が数多く残っている地域ですが、その姿をかなり減らしつつあります。
 もう少し事前に、広く知らせて欲しかったなあと残念です。
 「公共工事」が叩かれないためにも、土木事業が地域に果たしてきた役割や歴史もろもろを、地域住民や子供たちに分かりやすく伝える努力が、日ごろから必要ではないでしょうか。住民と行政がよりよい関係を築くためにも、ソフトな交流が必要だと思うんですよね。
 そんななか、がぜん希少価値が高まるのが、那覇市の真ん中を流れる久茂地川に現存する、1950年代の4つの橋(仲良橋・久美橋・甲辰橋・泉崎橋)! ではないでしょうか。
 1959(昭和34)年7月5日竣工した久美の、コンクリートの欄干や水面に映える曲線はなかなかの味わいでは?
 久茂地町と美栄橋町の名から、一文字づつとって名付けられた昭和の橋の頭上を、モノレールが行く風景も面白いと思います。が、車体の絵が汚い点はいただけません。
 「育てたい まちなみ」と書かれていますが(首里城の絵が描かれた車体もあります)、街並みを汚している当事者のように見えてしまうのは、ボクだけでしょうか。
(三嶋)

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「しまたてぃPlus」の公開

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 沖縄しまたて協会の情報誌『しまたてぃ』のweb版、「しまたてぃPlus」が公開されました。
http://okiaruki.com/simatate/
 これまで連載を続けさせてもらっている上に、こういうサイト構築も請け負わせてもらった「沖縄ある記」としては、かなりのプレッシャーですが、これを機会に、いっそう頑張らねばと気合いが入ります。
 面白いサイト運営は、いろんな人たちの力を借りなければ不可能です。みなさまの変わらないご協力とご支援を、よろしくお願いします。
(三嶋)

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