汀間の散策に行きました
2013年3月18日 Category: Myある記 Comment : 1



 名護博物館主催のワークショップに参加し、名護市の汀間(ティーマ・ていま)に行ってきました。
 汀間川にかかる嘉手苅橋の工事はまだ始まっていないようなので、対岸に渡り「1962年3月竣工」と刻まれているのを確認しました。カマボコ形の欄干のデザインが、何とも味があります。
 汀間の集落は山原船の寄港地で、明治・大正期にはマキや炭、木材の積み出しでにぎわいました。
 山原船は現在の三原の共同売店あたりまで川をさかのぼっていたようで、船の帆が引っかかるため、それまで橋は架けらなかったのでしょう。以前は渡し舟が使われていたそうです。
 橋からも見える対岸の御嶽には、新しい鳥居が建っていますが、壊れた以前の鳥居が近くに置かれていました。注目はその中が空洞になっている点。資材不足を補うために木材を芯にしていたため、中が腐ってコンクリートだけになったんですね。
 糸満市の金城善さんから聞いた話では、戦前の墓石や建築物には、竹や木材がよく使われたということでした。
 御嶽からそのまま川沿いを歩くと、右手に山が見えますが、そこに猪垣(いのがき)があるというので見せてもらいました。
 石を積み上げた大宜味や国頭の猪垣と異なり、盛り上げた土の上にテーブルサンゴを乗せた形です。放置されてかなり経つためか、崩れてしまい、それと分からないようなカ所もありました。
 築かれた場所や長さなども、今では正確にわからなくなっているようですが、一部を見るだけでも、自然の力に抗いながら暮らしてきた、人々の執念のようなものがヒシヒシと伝わってきました。
(三嶋)
							
田港橋
2013年3月14日 Category: Myある記 Comment : 0


 田港(たみなと)橋は、東村平良と大宜味村塩屋を結ぶ国道331号にある橋で、塩屋湾に注ぐ大保川に架かっています。
 欄干に竣工「昭和49(1974)年3月25日」とあります。復帰2年目、ボクが大学に入学した年ですね。
 ゆったりと流れる川面や、周囲に広がる水田の風景を見ていると、まるで田植えが始まるころの本土の田舎のようです。
(三嶋)
							
糸満ロータリーの追加取材
2013年3月3日 Category: Myある記 Comment : 0



「しまたてぃ」の追加取材で、糸満に行ってきました。場所の再確認と動画撮影が目的です。
バス停の写真のほか、南山王・他魯毎(たるまい)の墓と、墓ン門小(ハーカンジョーグヮー)と呼ばれる、門中墓が集まった場所への入口の写真を掲載します。
詳しくは、『しまたてぃ』63号、ならびにWeb版「しまたてぃ+」を読んでね。
(三嶋)
							
戦後の写真展、東村で開催
2013年2月28日 Category: Myある記 Comment : 1

 琉米歴史研究会の写真展が、東村の「山と水の生活博物館」で始まります(3月1日〜31日)。
 中城や南城市などでは何度もやってきましたが、北部で開催するのは初めてになります。
 これまで同様に、キャプションはボクの方で追加更新していますが、相変らず詳細不明の写真が多いので、来館者から少しでも情報を聞き取りたいところ。
 とはいえ、那覇から東村は結構な距離。片道2時間はかなり覚悟が必要なのですよ。
 季節もちょうど気持ちイイ感じになってきた今日この頃、ドライブもかねてご一緒しませんか?
(三嶋)
							
普天間一区の取材
2013年2月26日 Category: Myある記 Comment : 0



 「しまたてぃ」の追加取材で、普天間一区に行ってきました。
 普天間三差路から沖縄市側の地域で、戦後一番早く米兵相手の繁華街が形成された場所です。
 町はその後、南に位置する本町通り沿いがにぎやかになり、やがて普天間大通りから西側の地域が開放され(1953年)、本格的な都市計画が進められました。
 一区はいわば普天間の戦後の出発点といえるのですが、現在その痕跡はほとんどありません。
 「ふてんま公園」という高台に登って北側を見ると、いつも日米の国旗がたなびいている、キャンプ端慶覧の在日米海兵隊司令部が屋根ごしに見え驚きました。
(三嶋)
							
