普天間一区の取材
2013年2月26日 Category: Myある記 Comment : 0
「しまたてぃ」の追加取材で、普天間一区に行ってきました。
普天間三差路から沖縄市側の地域で、戦後一番早く米兵相手の繁華街が形成された場所です。
町はその後、南に位置する本町通り沿いがにぎやかになり、やがて普天間大通りから西側の地域が開放され(1953年)、本格的な都市計画が進められました。
一区はいわば普天間の戦後の出発点といえるのですが、現在その痕跡はほとんどありません。
「ふてんま公園」という高台に登って北側を見ると、いつも日米の国旗がたなびいている、キャンプ端慶覧の在日米海兵隊司令部が屋根ごしに見え驚きました。
(三嶋)