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東村の写真展が終了

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 東村の山と水の生活博物館で行われていた写真展が、31日(日曜日)で終了です。
 今回は、キャプションを追加・修正したぐらいしか手伝えませんでしたので、残念な気がしますが、宜野湾からはやはり遠いです(涙)。
 やんばるの体験者などから、あれこれ写真を見ながら話を聞きたかったのですが・・・
 しかし、メモしてもらった情報などもありますので、データベースに追加したいと思います。関係者のみなさまご苦労さまでした。
(三嶋)

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甲辰橋と甲辰小学校

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 甲辰橋は、モノレール県庁前駅の西にある小さな橋で、1959(昭和34)年11月に完成しました。
 54年前の橋が、沖縄の中心地に今も現役で存在していることに驚きますが、欄干はさすがにあちこち傷んで、痛々しい感じ。
 橋を渡って「パレットくもじ」に向かうと、地下駐車場の入口右に「甲辰尋常小学校・甲辰国民学校跡」という石碑が、ひっそりと建っています。
 甲辰小学校は、1904(明治37)年の甲辰(こうしん・きのえたつ)年に設置され(開校は翌年)た学校で、校名は日露戦争開始を記念して名付けられました。
 国民の熱狂的な支持を受けた日露戦争は、沖縄では立派な日本人になるための「踏み絵」のような役割を果たしました。出兵者の約1割が死傷したものの、この戦争を契機に県内の就学率が上昇し(昭和2年に99%に達した)たことからも、皇民化教育が「成果」を挙げたことがうかがい知れます。
 県外からの転勤族の子弟も多い甲辰小学校は、県内有数のエリート校でしたが、昭和19年8月には疎開船「対馬丸」に乗船した学童100人余が犠牲となり、那覇市の9割が焼失した同年10月の「十・十空襲」で完全に校舎を失ったまま、現在まで再建されることはありませんでした。
 戦争の時代につくられ、戦争とともに消えていった学校の名は、社会や政治の要請によって教育や学校が、容易に変質してしまう事を今に伝える意味でも、忘れてはいけないでしょう。
 甲辰小学校は二重の意味で「悲劇の小学校」ではないでしょうか。
(三嶋)

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大城勝君の作品調査

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 昨年亡くなった大城勝君の遺作展を、1周忌にあたる11月に開催しよう、と仲間で考えています。
 そのため、作品が置いてある大宜味の実家までみんなで行って、調査しました。
 天地・左右が分からない作品が多く、結構みんなで悩みました(笑)が、作品の質はどれも高いと感じました。
(三嶋)

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高倉の葺き替え2

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 名護博物館の高倉葺き替え続報。
 学芸員・職員・サポーター、一丸となって作業に取り組んでいます(あんまり変わってないか?)
 中南部と異なり、山が身近な沖縄島北部(やんばる)では、さまざまな形で自然の恵を暮らしに取り入れてきましたが、戦後、私たちの社会は、その多くを不必要なものとして忘れ去ろうとしています。
 失われつつある山の文化や、自然との共生の中で育まれたジンブン(暮らしの知恵)を、次代に伝えることも博物館の大きな役割のひとつでしょう。
 また、アイデンティティの自覚という視点からも、 “ワッターシマ”の暮らしや文化の保存や継承に、地域住民も積極的に関わることが求められています。
(三嶋)

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高倉の葺き替え

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 名護博物館にある高倉が化粧直しをしています。
 古くなった屋根を葺き替える大仕事で、材料のタケ(琉球竹)を集めたり、技術をもったお年寄りの助けを借りたり、博物館はこのところ大忙しのようです。
 外野からは応援しかできませんが、手仕事の伝承という意味からも、しっかりとデータを残したり、後継者を育成したりして欲しいところですね。
(三嶋)

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