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特定非営利活動法人
沖縄ある記
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工芸品調査

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沖縄市と名護市を中心に、モノづくり(工芸)の現場を訪ねてきました。
この分野にはあまり明るいとはいえませんが、このところ暮らしとモノづくりのリンクについて考えているので、たいへん勉強になりました。お相手いただいたみなさま、ありがとうございました。


森林資源研究センターで作られたデイゴの木片と子供用イス。「軽い」が「安全」「持ちやすい」につながることから、子供用の木製グッズを思いついたとか。可能性を感じました。沖縄を代表するデイゴの花もこのところあまり見ないので、デイゴ並木の復活も含めて地域おこしにつながらないか考えてみたいですね。


同センターで作られたガジュマルの木皿。木目が綺麗で重厚なイメージ。沖縄ソバ屋などでマカイ(お椀)として使い、木灰ソバ(ガジュマルを燃やした灰を使って作るソバ)を盛ると、ひとつのストーリーが成り立つので面白いんじゃないかなあ、と研究員の伊波さんがおっしゃっていました。


島袋正敏さんの「蔓草庵」を訪ね、古酒やバーキ作りの話をうかがいました。博学多才な正敏さんの世界に引き込まれ、モノづくりの神髄に触れたような気がします。これからもイロイロ学びたいと思います。
(三嶋)

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第2回知念ある記

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南城市知念の字知念を歩いてきました。
前回お願いしていたこともあって、地元の方々10人ほどが参加されたので、あちこち歩きながらユンタクに花が咲きました。
残念だったのは、知念の方言をこちらがよく分からなかったことで、ニュアンスは伝わるんですが、仲間同士の会話を聞いていると、?が浮かぶばかり。う〜ん、ウチナー口は深いですね。


古い石積みと新しい家が混在しているような集落の中。夕方には、のんびりとしたアナウンスが拡声器から部落内に流れます。
字知念は北側にある平仲(ひらなか)と、南側の久美山(くびやま)に分かれています。写真は平仲の「中の道」そばにある拝所(根屋)から撮ったものです。


古い石積みで囲まれた知念ノロの屋敷跡。正面に見えるヒンプンは竹です。屋敷内にはノロが使ったというカーや、文化財指定のサキシマスオウノキが繁っています。この日はウルトラマンの顔に例えられる楕円形の実がたくさん実っていました。


久美山(くびやま)地域にある知念大屋(ウフヤ)の拝所。集落背後の山腹にある知念グスクの城主・知念按司と、知念ノロのウコール(香炉)を代々守ってきた家にある拝所です。知念按司の刀も伝わっていたそうですが、いつのころか盗まれたそうで、その替わりに泥棒が置いていったという錆びた刀らしきものが今も残っています。替わりの刀を置いていった泥棒って・・・律義なのか何ナノか不思議。


あちこちにたくさんあるヒヌカン(火の神)のひとつ。ヒヌカンのことは、知念ではカママーイとも言うそうです。平仲にも久美山にもたくさんあり、この日だけでも9ヶ所を確認しました。
数が多い分けを聞くと、昔から火事が多かったので、火の用心のためということでした。昔はカヤ葺き家が多く、火が着くとまたたくまに焼け落ちたとか。
しかし、知念に限らず、沖縄ではどこも同じ条件だったはず。なぜこれだけ火の神が多いのか、という疑問に対する答えとしては、少し弱い気がするんですが・・・。宿題です。
(三嶋)

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名護の「やんばる山学校」

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 中城の旗立て岩を見た日の夜、名護博物館友の会を中心に行っている「やんばる山学校」プロジェクトの、伊平屋島調査報告に出席。
 ボクも実行委員会メンバーの一人だし、これまで何もしていないので伊平屋に同行したかったのでが、諸々の事業で行けず残念でした。「田名池再生プロジェクト」で数年前に訪ねていたことや、沖縄戦との関わりなどを調べていたこともあって、伊平屋はボクにとっても気になる存在でした。これを機に、またイロイロ勉強したいと感じた次第です。

熱心かつ気の置けない会話が飛びかった報告会(名護博物館ギャラリー)。


伊平屋村野甫島の飯井敏雄氏宅(現在は空家?)にあった慰霊碑の一部。旧日本海軍パイロットだった同氏は、昭和20年5月17日、伊平屋北方で撃墜・墜落したあと島民に救助され九死に一生を得る。戦後、その恩に報いるため同地に移住し、かつての仲間の供養も行っていた。写真は2011年撮影。
(三嶋)

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旗立岩

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 中城村の「旗立岩」に行きました。以前(十年以上前だったと思う)来た時は、樹木に覆われて、どれが岩やらよく分からなかったものが、あら、ペリー関連の本にある挿し絵と同じで、不思議な感動を覚えます。
 それにしても、あそこに登って旗を立てるのは、結構たいへんだったはず。

1853年、ペリー提督一行の琉球・日本遠征に同行したハイネが描いた旗立岩
『写真が語る護佐丸の居城』(平成16年・中城村教育委員会発行)


写真ではよく分かりませんが、左側はガケになっています。近づくと、垂直に立つ大岩がすぐにでも崖下に転げ落ちそうで結構スリリング。地震が来たら・・・・見られるのは今のうちだけかもよ(笑)
(三嶋)

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ビーンクイクイで元気をもらう

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 国頭村奥のビーンクイクイを見てきました。集落の長老をオケに乗せて練り歩く伝統行事で、他にあまり類をみないこともあって以前から気になっていました。
 普段は静かな山間の村もこの日ばかりはにぎやかで、誰もがハイテンション。
 祈りのあと始まった行列は、「ビーンクイクイ」と叫ぶ男性の声と太鼓に呼応して、全員が「エイヤサー」と掛け声を掛けながら練り歩きます。参加者は掛け声に合わせて軽くジャンプし、長老が乗るオケを担ぐ若者はその際、オケを一段高く差し上げるのですが、一連の動作は部落の広場につくまで、かなりの時間くり返されます。
 強い日差しのもと、汗だくで一連の所作をくり返すパワーに、こちらまで元気をもらったようでした。
 那覇あたりから駆けつけた村の出身者なども含め、大勢の人が踊り、声を出し、圧倒されるほどのエネルギーを発散させていました。


高齢者が圧倒的に多いため、熱中症で倒れるのではと心配しましたが、みなさんのタフネスぶりに脱帽でした。
(三嶋)

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