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外人住宅がなくなる日

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事務所近くにあった外人住宅が取り壊され、更地になりました。
69年前の4月には日米の将兵が交戦し、多数の血が流された土地だという情報は、資産価値が下るだけにタブーでしょうか。
営業妨害を企てている分けではありませんが、戦後建てられた、米兵・軍属相手の貸し住宅(いわゆる外人住宅)が、壊されているのを見ると複雑な気持ちではあります。
負の遺産という捉え方も、耐用年数などの問題もあるのでしょうが、戦後沖縄を象徴する風景のひとつであるだけに、延命をはかるアイデアや別の活かし方がないものかと考えます。
また、戦後史のなかの位置づけや、建築史的な研究や検証がなされたのかも気になります(不勉強な私はあまり読んだことがありません)が、「外人住宅」が、戦後沖縄で生み出された建造物であったことは間違いありません。
スクラップ&ビルド的なイージーな手法ではなく、例えば保存・修復してアーティストのアトリエとして安く提供し、地域をアートビレッジにするような、住民参画で地域おこしにつながる文化・教育的な使い方なども、検討してもいいのではないでしょうか。
時間もないことだし、行政に期待しても無理でしょうから、「歴史的建造物として保存・活用しよう」というような、心の広い企業や篤志家はいないんでしょうかね。


南城市玉城で2011年2月撮影。琉球ゴルフ倶楽部西側に残っていた建物。現在、その後の再開発で取り壊されています。


空き家になった普天間のキャンプフォスター西地区。2013年6月撮影。返還後に琉大医学部の移転が計画されている。
(三嶋)

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なつかしの団地生活

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モノレール古島駅のすぐ近くにある古島団地を、久しぶりに訪ねました。
十数年前、自分たち家族が住んでいた所です。2LDKに子ども2人という家族構成。子供たちは団地内の保育園でお世話になり、近くの小学校、中学校に通い、お陰で元気に大きくなりました。
仕事に追われてバタバタと走り回り(今もだけど)、狭い空間で川の字に寝る毎日でしたが、子供たちが成長した今、あの頃が妙に懐かしく思い出されます。自分たち夫婦もまだ若かったし、子どもたちの成長を見守ることが、日々の活力になっていたんでしょうね。
また、近隣との付き合いが、当初は疎ましかったのですが、同じ環境に居ることの安心感や連帯感が生まれ、仲間意識が芽生えてきたのには自分でも驚きました。家族がいることで、ムラ社会の必然性のようなものを素直に受け入れられたのかもしれません。
とまれ、かつての時代にタイムスリップしたような、不思議なひと時を過ごしたのでした。


ほとんどの住人が転居した団地内。かつての我が家の前。


ガジュマルの大木が繁る団地内の広場。夏休みには、子供たちのラジオ体操に付き合いました。


今も営業中の文具店。店内は以前より寂しくなっていますが、10数年ぶりの再会に嬉しくなりました。
古島団地が、建て替え問題でゴタゴタしている様子は、新聞で目にしていました(ようやく和解が成立したとか)が、気になるのは一人暮らしの高齢者の処遇。行き場のない老人を見捨てるようなことのないよう、関係者には配慮して欲しいものです。
(三嶋)

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先端的大学とマッチするコスモポリタン、ゴヤ・フリオ

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恩納村にある沖縄科学技術大学院大学(長い)に行ってきました。
名前からして、自分の人生と100%交わらないと思っていた場所ですが、ゴヤ・フリオ氏が彫刻展を開催中ということで、恐る恐る入ってみました。
したら、ここはどこ?っていう感じで、デージびっくり。
環境はリゾート・ホテル、施設はチョーモダン。歩いているのは外国人。ウチナーはどこ?って帰りたくなりました。
しかし、フリオ氏はさすが国際人。臆することなく、普段の調子でひょうひょうとしています。


入口から続くトンネル部分。ここを抜けると、大きな吹き抜けのホール(ダムの水を溜める所みたいです)があり、カッコいいエレベーターで、上に上る仕掛けです。


エレベーター・ホールに立つフリオさんと作品。


玄関外に置かれたフリオさんの作品。白い金属の、たしか「馬」だったはず(間違ってたらゴメン)。
ほとんどが金属で、鮮やかな色使いが多いフリオさんの作品は、この会場によくマッチしていると感じましたが、みなさんはどうでしょうか。県民にはあまり馴染みのない場所ですが、ネタと思って、この機会に行ってみてはいかがでしょうか?
ゴヤ・フリオ作品展は6月末日まで開催中です。
(三嶋)

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母の日はウチナー芝居にかぎります

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先日のユンタク会に来ていただいた、赤嶺啓子さんが出演するウチナー芝居を、パレット市民劇場で観てきました。
在沖歴は結構長い小生ですが、ナマの舞台は初体験。
昼の部は大勢の「お母さんたち」で満員。立ち見も出る盛況で、イケ面の男優に熱い視線を送り、おしゃべりや掛け声をかけたり大忙し。泣いたり笑ったりで、大満足の2時間半だったように見えました。
こちらはウチナー口の台詞が分からずどうなるかと思いましたが、あでやかな衣装の踊りや歌、当意即妙の掛け合いといったプロの技に驚かされているうちに、何となく芝居に引き込まれ、結構ノレたような達成感を味わいました。
ドラマは、言葉や地域を凌駕するということでしょうか。
もっとも、一緒に観た玉那覇善秀さんに、言葉の意味やディテールをあとで教えてもらったので、分かったつもりになったのかもしれませんが。


「伊良波冴子 母の日公演」チラシ。
開幕は芸歴ウン十年の座長・伊良波冴子さんの歌で、イケメンや美人の踊り、軽い喜歌劇「貞女小(ていじょグヮー)」と続き、メインの時代人情歌劇「思案矼(しあんばし)」という流れ。盛りだくさんのメニューです。


パレット市民劇場に行く途中、沖映通りを横切りました。
通りの名前となり、1977年の閉館まで沖縄芝居の殿堂だった「沖映」は、写真中央右に見える「那覇タワー」の手前にありました。今となれば、一度は行ってみるべきだったと後悔しています。


沖映通りの下を流れるガーブ川の出口。かつてはダイナハの、そして今はジュンク堂の裏口。
川のようすは仕事でよく訪れていた20数年前と、さほど変わっていないようですね。
(三嶋)

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戦後史の闇

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青木冨貴子『占領史追跡』(新潮文庫)を読了。
コンプトン・パッケナムという、日本生まれの外国人記者が残した日記を、偶然手に入れた著者が、日記をたどりながら見えてくる、戦後の日米外交の裏側を描いたノンフィクションです。
関係者を訪ね、さまざまな情報を丹念に集め、真実に迫る著者の行動力に圧倒されると同時に、表の外交史からは決して見えない国際政治の裏側がリアルに描かれ、強い説得力を持っています。日記の中に浮かぶ当事者たちの姿はなまなましく、昭和天皇、マッカーサー、吉田茂、鳩山一郎、ダレス特使等々、今では歴史上の人物になった面々が繰り広げる、策謀に充ち満ちた戦後の日米関係に驚かされるでしょう。
そして、アメリカが共産化を防ぐ砦として日本を位置づけ、米軍基地の日本駐留もそこを起点にしていたことが分かります。
天皇制存続も自衛隊創設も、沖縄の位置づけもそのための手段であった分けですが、国益のために日本をコントロール下に置いたままにしておくというアメリカの思惑が、途絶えることなく今も続いていることは、沖縄に住むわれわれにはよく見えますよね。


本書では、CIA(米中央情報局)の不気味な影も随所に描かれていますが、沖縄には「知念キャンプ=CSG」とよばれていたCIAの秘密基地が、1976年まで旧玉城村親慶原にあったほか、在沖米総領事館がCIAの本拠地だったと新聞で公表された(1976.4.6)こともあります。
また、米軍政に批判的だった『ディス・ウィーク・オン・オキナワ』編集長ラリー・クレブスが、1961年12月に海で変死した事件には、CIAが関与していたとされます。
(三嶋)

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