戦争体験者の講演
2015年6月20日 Category: Myある記 Comment : 0
名護市屋部出身で、民俗芸能などに造詣の深い宜保榮治郎さんが、沖縄戦当時の体験を語る集まりに参加してきました。
沖縄戦というと、終焉の地となった本島南部に話が集中しがちですが、やんばる(本島北部)でも戦闘があったことや、中南部から避難してきた人々が、命をつないだ場所がこの地であったことは、記憶に留めておくべきです。
名護博物館で行われた講演会「軍国少年が見たやんばるの沖縄戦 イクサの記憶」
人口が集中する中南部で消費される、燃料や建材などの供給基地として、それまでもやんばるは重要な機能を果たしてきました。
また、戦後、本島の「水がめ」として多くのダムが造られ、都市部の暮らしを支えている構造は今も続いています。
広大な米軍演習場の存在もふくめて、中南部から見えづらいこの「南北格差」状況が、普天間移設にも伏流していることを自覚させられます。
(三嶋)
タイムラプス動画 嘉数高台公園
2015年6月17日 Category: Myある記, 活動クリップ Comment : 0
梅雨が明けたら試してみようと思っていたタイムラプス動画。
慰霊の日も近いので、近場の嘉数高台で撮影してきました。
タイムラプス動画とは一定間隔で撮影した写真を高速再生した動画です。
ちなみに今回は2秒ごとに30分ほど撮影した900枚の静止画を30秒の動画にしてます。
(入りのシーンはiPhoneで、左に旋回しているシーンはGoProです。)
試しで撮ったので、あまり時間をかけていないけど、時間をかければもっと面白い動画が作れそうです。
(下地)
高校生と一緒にやんばるの沖縄戦を学ぶ
2015年6月13日 Category: Myある記 Comment : 0
名護市教育委員会主催の、「高校生とともに考えるやんばるの沖縄戦」という催しに参加しました。
今年のテーマは、「旧久志村にあった避難民収容地区と今」。
住民の収容地区となった久志・辺野古・瀬嵩をまわり、現場を確認しながら体験者の話などを聞きました。
高校生を対象としたこのワークショップへの参加は初めてですが、今年で21年目と知って驚きました。また、朝8時半から5時までの長丁場にもかかわらず、多くの高校生の真剣な眼差しにも正直いって感心しました。
辺野古地区で、戦中・戦後のようすを学ぶ。
久志浄水場近くの伊江村民収容地跡。
伊江島では、激しい戦闘に参加して多くの住民が犠牲となっています。生き延びた伊江村民は、1945年6月、大浦崎収容所(現在のキャンプ・シュワブ)に強制収用され、同年9月に現在の久志浄水場近くの山中に再移動を命じられました。人々は、食料難やマラリアで多くの命が奪われるなか、1947年3月までこの地に留め置かれたそうです。
大浦湾をはさんで辺野古と向かい合う瀬嵩海岸で、対岸に見えるキャンプ・シュワブの現状を学ぶ。
このところの、辺野古や安保法制案などをめぐる政治のありようは、目茶苦茶としか言いようがありませんが、そんな大人の不甲斐なさを尻目に、彼ら・彼女らはしっかりと70年前の出来事を学び、当時のようすや人々の姿を懸命に想像していました。
それにしても、若者を戦場に送るかもしれないような事態に、再び直面することを想像した人がいたでしょうか。戦後、人々の胸に去来したものは、決して戦争をしてはならないということだったはずです。そして、それはすべての国民が共有してきたものだったはずです。
わずか70年で、戦前への回帰を志向する人々が跋扈するようになるとは……何とわれわれは愚かで、歴史に学ぼうとする謙虚さに欠けているのかと、嘆かずにはいられません。
(三嶋)
名護博弁当会
2015年5月22日 Category: Myある記 Comment : 0
久しぶりにヤンバルの蔓草庵をたずね、帰りに名護博物館(友の会)恒例の、金曜弁当会に乱入。行くたびに、初めての方と知り合えるユンタク会ですが、今日も楽しいひと時を過ごしました。
名護博物館は、施設内(中庭に面した半戸外)で自由に飲食できるという、奇特な場所。
手づくりのテーブルが2つとイスがあるだけですが、誰かれとなく訪れては、打合せをしたりユンタクしたりしています。
こんなにユルく、誰もが自由に使えるオープンスペースがある公共施設は、今どきほんとに奇跡的だと、行くたびにボクは(嬉しくて)笑ってしまいます。
博物館を訪れた人は、ついでに誰かを見つけて声を掛けてみましょう。
予期せぬ出会いが待っているはずですよ。
そして、「地元の人」が何よりの“おもてなし”であり、なおかつ最も興味深い“展示物”であることに気づくはずですよ(たぶんだけど)。
(三嶋)
県民大会は熱かったぜえ!
2015年5月10日 Category: Myある記 Comment : 0
ピーカンのクソ暑い天気のなか、倒れそうになりながら、「止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」に参加してきました。
旭橋あたりから会場のセルラースタジアムまで、途切れることなく続いた人の波
この種の集会では、高齢者の頑張りにいつも驚かされますが、今回は子供連れの家族もけっこう目に付きました。一段とキナ臭くなった気配に、若いお母さんたちも敏感にならざるを得ない、ということなのでしょうか。
現在は「戦争間期(前の戦争と次ぎの戦争の間)」という、嬉しくない指摘に頷いてしまいそうになりますが、だからといってそれを認めてしまえば、「仕方がないもんね」的なムードを、自分も媒介してしまうことになります。
対立を前提に思考するのではなく、連帯や協調が横溢するような空気感を、社会が取りもどすよう努力するべきでしょう。優等生的で面倒臭い話かもしれませんが、しょうがないですよね。
(三嶋)