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名護琉米文化会館のデイゴ

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大嶺昇さんと本部に行った帰り、名護市役所に立ち寄りました。
像設計集団が設計した現在の庁舎は、風土に根ざした設計思想とユニークなデザインで内外に知られていますが、そこに名護琉米文化会館があったことを知る人は、案外少ないようです。

同会館があった場所は、現市役所の東側あたり。
今は当時とまったく異なっていますが、北側の道路に面した門に、当時のデイゴが今でも残っています。

名護琉米文化会館は、1951(昭和26)年1月26日、名護文化情報会館としてオープンし、本土復帰の前年1971年6月に閉館。
監督官として来沖した日系2世、グレース・横内氏の精力的な働きもあり、名護・やんばる全域で、社会教育や生活改善などに大きな成果をあげました。

大嶺さんは、横内さんのサポートおよびスタッフとして、1951年春から53年10月ごろまで勤務したあと、那覇琉米文化会館に移動しています。

DSCF7864
写真中央が、名護琉米文化会館がオープンした当時に植えられたデイゴの木。
当時を物語る貴重な物証といえるでしょう。
デイゴの後に見える建物の位置に、かつて横内さんが住み込んだ家屋があり、その脇の小さな道を抜けると、目の前に名護湾が開けたそうです。名護湾が埋め立てられる前の話ですね。

DSCF7867
開館当時植えられ、今も残るデイゴと大嶺さん。

文化会館
北から見た名護琉米文化会館。
白く輝く未舗装の通りと、赤瓦のコントラストが美しかったと想像されます。
撮影は大嶺昇氏。1953(昭和28)年。
(三嶋)

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