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沖縄ある記

 

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特定非営利活動法人
沖縄ある記
(地域文化支援ネットワーク)

〒903-0801
那覇市首里末吉町2-141-60

■お問い合せ

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小谷地区の慰労会

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 南城市佐敷小谷で行った「小谷マーイ(まわり)」と関連イベントが無事に終了し、事業の慰労会が催されました。
 わが「沖縄ある記」も今回、地域の人たちと一緒になってマップ作成などを行いましたが、貴重な勉強の機会になったと思います。小谷の方々に深く感謝したいですね。
 今回のマップでは、かつて有名だったバーキ(竹カゴ)作りを中心にして小谷を紹介していますが、それは、この地で盛んだった竹細工を取り上げることで、当時の暮らしや思い、さまざまな物語を思い出して欲しいと願ったからに他なりません。
 地域の生活の糧であった産業が衰退して久しいのですが、当時のことを家族や隣近所で語り合うことをきっかけにして人生をふり返り、まんざらでもなかったと思えれば幸せではないでしょうか。
 また、時代を共有した地域全体がホットコリとした気持ちに包まれれば、誰しも気持ちが上向くような気がします。
 暗い予感しか浮かばない昨今ですが、かつての輝きをなぞらえることが単なるノスタルジーではなく、自信や情熱を取り戻す起点になるのなら、地域マップもその一助として機能するような気がします。

(三嶋)

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小谷マーイと竹のプロジェクト

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南城市を舞台にした第4回半島芸術祭もこの日で最終日。
集落散策と展示、竹細工のワークショップをメインにした「小谷(おこく)マーイ」も、盛況のうちに幕を閉じました。
わが「沖縄ある記」の製作した小谷mapも何とか初日に間に合い、住民をはじめ参加者に配布されていました。
小谷マーイの実施日は16・17日と23・24日の4日間でしたが、地域の先輩方がガイドする散策のほか、かつて盛んだった竹細工の実演などもあって、見学者はもちろん地元の方々も小谷の魅力を再認識したように思います。
やはり行き交う人の姿が増えると、地域全体に活気が戻って来るようです。


拡大した小谷の地域mapを前に。左端が沖縄ある記代表・國吉宏昭。体調もいいようで、地元の方とのユンタクを楽しめたようです。


公民館で実施された地域の写真展と、バーキ類を集めた展示会。オープンしてから写真やバーキの提供が増えた、と聞いて笑いました。話だけでは伝わらないですよね。やって見せないことには。
ここに集まったモノや物語こそ、家庭や地域に眠る「文化資産」。継続して活用できる方法を考えたいと思います。


各家庭に眠る写真を持ち寄れば、立派な写真展ができます。それを地域のアルバムとして共有すれば、立派な地域アーカイブとなるでしょう。
また、その役割を公民館が担うならば、地域の記憶を預かる情報センターとして機能する、新しい公民館の姿を描けるかもしれません。


木陰に設けられた竹のワークショップ会場。久しぶりの方も含めて、腕に覚えのある小谷の先輩方が、いろいろな竹製品を作っていました。写真は、アツイラナという竹細工用のカマで金属片の尻をたたき、ミーゾーキの網目を詰めているところ。


底の部分を上にして、バーキ(カゴ)を編むお父さん。
早い人では7歳ぐらいからバーキを作り、大人では1日に7、8個も作っていたとのこと。家族総出のバーキ作りは貴重な現金収入で、個数がたまると那覇や糸満まで売りに行ったそうです(徒歩で!)。ある人は、中学生のころ糸満まで売りに行っていたそうで、帰りにソバを食べるのが最高の楽しみだったと語っていました。
(三嶋)

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知念ある記

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「知念ある記」報告。
予想に反して参加者が少なく、「イイ天気なのにみんなヤーグマイ(家籠り)かい」と少々八つ当たり気味でしたが、ネットで知って参加された方もいて嬉しくなったので、やっぱり地域散策は面白いなあと最後は自画自賛(課題も多いのですが、とりあえず嫌なことは見ないことにして)


まずは知念集落内の歩き。有名な知念グスクはあえて避け、村の中の暮らしや歴史の痕跡を訪ねました。何気ない風景や日常が面白いのです。


字知念の集落歩き終了後、山の反対側に移動してスクガー(底川)を散策。戦後まで存続したものの、今は森の中に痕跡を留めるのみの屋取(ヤードィ)集落跡です。写真の場所から奥の方(東)に、石積みに囲まれた屋敷跡を確認することができます。


木漏れ日の中に横たわる石積み。生い茂る植物の生命力に白旗を揚げ、底川を守る会(城間光雄代表)の皆さんの草刈りも、ここ数年はままならなかったようですが、半島芸術祭を機に再び闘志に火がつき、樹木と格闘の末なんとか散策コースを再整備するまでになったとか(ご苦労様です)。
新聞に取り上げられたこともあって、この日も見学者が多かったようです。


屋敷跡に転がる陶磁器の破片。ヒンプンやゥワーフール、井戸の跡などとともに、森の中にナマナマしく残る生活跡です。
(三嶋)

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字知念の追加取材

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現在、字知念(南城市)の地域マップ作りを進めていますが、追加確認のために現地を訪ね、地元の方(前城さん)に案内してもらいました。
地域マップには、できるだけ地元で集めた情報を反映させていますが、ともすれば教科書的な知識を並べたものになり勝ちですので、自戒の念を込めて前城さんの話に耳を傾けました(人によって話が食い違い、何だかよく分からなくなることが多いのも事実なんですが…)。


知念城跡駐車場近くの道路沿いにあるウェーンガマ。道路から2mほど上に見えますが、以前は道路と同じ高さにあって、坂を上り下りする人が、この岩陰で涼をとったり雨宿りに利用したりしたとのことです。知念の集落の多くは、東側の海岸近くにあるため、ヤギのエサなどを苅るために、村の人はこの坂道を日に何度も往復したといいます。


字知念を横切る国道331から見た海岸部の風景。写真右側の、高くなっている部分から隣りの字・具志堅です。撮影地点の背後にはヒージャーガーラという場所があり、知念大川から流れた水が小さな滝をつくっていたようです。地名は、ツブしたヤギ(ヒージャー)を洗っていたことにちなむようですが、現在は覆われた草の間から、コンクリートの排水溝がわずかに見えるだけになっています。
写真に見える農地は、かつてはヒージャーガーラ一の水を利用した水田でした。写真より左側に位置する高台・ウカマシキ(集落の南端)では、昭和40年代ごろまで毛アシビーを行っていたとか。当時の小道具はギターで、男女の出会いの場を盛り上げたようです(弾き手はBGM担当で、損な役回りだったとか)。
(三嶋)

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ウクク(小谷)のテスト・マーイ

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16日から始まる半島芸術祭で行う、「小谷まーい」のテスト歩きを実施してきました。
集落案内の依頼がこの日にあるということなので、いきなり実戦に臨む形で戸惑いもありましたが、何とか無事に終えることが出来ました。


集落入口の坂道にある「美ら石」で、一休みした後に行われたオカリナの演奏会。その澄んだ音色は周囲の野山をやさしく包み込みながら、斜面を下って流れていくようでした。演奏された方々は、南部の施設などを回って演奏会を催しているボランティア団体とのこと。詳しい話は聞けないままでしたが、またお会いしたいものだと思いました。
(三嶋)

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