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沖縄ある記

 

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特定非営利活動法人
沖縄ある記
(地域文化支援ネットワーク)

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1周忌と沖縄ある記

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先日、沖縄ある記の初代会長、國吉宏昭の1周忌に行って来た。

オシャレな身なりと、相反する飾らない言動で、多くの人に愛された人だった。アートと音楽をこよなく愛し、携わる若者(特に女性)に声援を送り続けた一生は、まだ若かったとはいえ、悔いのないものだったかもしれない。

國吉さんが生まれ育った那覇市神里原は、『しまたてぃ』に連載した「戦後の沖縄を歩く」の第1回目で取り上げた。隣の壺屋とともに、那覇市の戦後が始まった土地であり、國吉さんの生家である國吉ミシン店が誕生した所だったからだ。

そして、戦後の混乱期をたくましく生きる大人たちの姿や、復興していく街の風景が、國吉少年に多大な影響を与えたことが、彼の話からもうかがい知れた。

“アメリカ世”の沖縄を語れる先輩が、また一人消えたことに、改めて寂しさを覚えた。

神里原の大洋劇場跡を訪ねた、在りし日の國吉さん。2011年6月

その國吉さんと立ち上げたNPO法人沖縄ある記は、気心の知れた人たちと何となく繋がり、ユンタクしながら地域に携わる集団となることを目指した。

激しく主張したい分けではないが、失われゆく景観や社会に危機感を覚え、沖縄の行く末にいささかの疑問を持っていることは事実である。

定期的なユンタク会でグダグダと語り合う。2013年11月。

本土復帰後、急激なヤマト化と反比例して、それまでの沖縄の暮らしや景観は急速に失われ、今や絶滅が危惧される状態となっている。

グローバリズの流れは加速度的に全国を覆い、その末端に沖縄をも位置づけてきたが、コロンという予期せぬ出来事で、否応なく変化することが求められるだろう。

行き過ぎた資本主義の流れを変えるキッカケとなるなら、不幸中の僥倖ともいえる。自ら導いたものではないが、社会を変える前触れとして期待したい。一部の人だけが富を得るのではなく、みんなが安心して過ごせる共存社会の実現が理想だと思うからである。

「辺野古ある記」と題した自主企画。名護博物館にて反省会。2014年9月。

環境に負荷を与えない社会をつくる動きは、オイルショックで揺れた1970年代から目立つようになったが、自然との共存が当たり前の地域では、「昔に学ぶ」ということであろう。

自然との距離が開く一方の現在は、右肩上がりの成長曲線を疑い、社会の真の成熟を願って実践する時期といえる。

戦後社会は、モノを買い揃えることを豊かな社会と設定し、その実現に汗を流してきたが、置き去りにしてきた自然の豊かさや文化の価値が、今は切実に求められている。

「恩納村仲泊ある記」にて。2014年2月

国頭村奥の集落では昔、川から水を引く際には、ピーと呼ぶ掛樋(かけひ)を作った。それは50年以上を経たリュウキュウマツを山から切り出し、半分に割ってくり抜いたものだ。

かつては、50年以上先の子孫が使うことを考えて、木を植える祖先や集落があったし、そのようなスパンで地域の時間軸は設定されていた。

家々の写真を持ち寄り写真展の準備をする石嶺の人たち。2020年3月

だが、このような制度設計が通用しなくなったのはいつ頃からだろう。

便利で要領のいいライフスタイルを追求するあまり、街に住む人々の多くは、息絶え絶えになっている。

失われた自然や伝統も多く、ヤマトと同じ建物・景観が出現するようになって久しい。コンビニの陰でマチヤグヮーが消え、昔ながらの路地がコンクリートの街に変わり、語り合う住民の姿も減った。

これが、ボクらが望んだ社会?

そして、本当の豊かさなのだろうか?

石嶺の「地域写真展」。狭い会場だが多くの人々が集まり、ユンタクの輪が広がった。

 

<三嶋>

 

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『沖縄の戦後を歩く』を発売します

 Category: 沖縄ある記, 案内  Comments : 2


昨年の後半から執筆・編集をしていた書籍『沖縄の戦後を歩く』が、今月、ようやく発売の運びとなりました。

コロナの厄災でタイミング的には最悪ですが、「ステイ・ホーム」の有効利用でもありますよ。

本はA4サイズ、172ページ。

その内容は、一般社団法人しまたて協会が発行する季刊『しまたてぃ』に連載していた「沖縄の戦後を歩く」の25回分や、その他の事業で回った集落の情報、10人ほどの方々の書き下ろし記事なども加えて多彩です。

紹介地域に偏りがあったり、バラバラな印象が気になるかもしれませんが、われわれ「NPO法人沖縄ある記」の活動報告ともいえますので、お手にとっていただければ幸いです。

販売価格は1,800円(税込1,980円)。

一般書店で手に入らない場合はメール等でお知らせください。郵送いたします(送料のご負担をお願いします)。

よろしくお願いします。

<三嶋>

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「谷茶あるき」が終了

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3月22日(日曜)、「谷茶あるき」を実施した。

谷茶は恩納村で一番小さな字のため、どのくらい参加者があるか心配したが、糸満、那覇から来る人もいれて20名弱が集合。ちょうどいいぐらいの人数に安心し、いつものようにユンタクしながらみんなで歩き回った。

谷茶集落の入り口を流れるメンカーに掛かる谷茶橋。道路はかつての県道。河口では戦前、山原船2隻が入って来るほどの広さだったという。手前にある新しい橋の建設記念碑には、1923(大正12)年11月建立と刻まれている。

集落を流れるもう一つのせせらぎ、シリンカーを見ながら地元の年配者の話を聞く。

もう少し東に行くと戦前に造られたミージマ橋があり、明治の大火を被った後は、この橋より東側に人家が広がったと文献にある。

静謐な空間が広がる「お宮」。御嶽に次ぐ集落の拝所とされ、行事の際に拝まれているが詳細はよく分からない。

小さな集落のため、見て回るのにさほどの時間はかからないが、地元の方の話を聞いていると、いろんなエピソードが出てきて面白い。地元でないと味わえない出会いと体験であった。

<三嶋>

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石嶺写真展&公民館カフェ開催

 Category: 沖縄ある記, 活動クリップ  Comment : 0


一般社団法人沖縄しまたて協会の支援事業のひとつ、「写真展&公民館カフェ」を3月15日、石嶺1区の本字集会所で開催した。

同地区では、さる2月6日に実施した「石嶺あるき」に次ぐもので、前回からの告知もあってか多くの方々がお見えになり、にぎやかな1日となった。

朝早くから多くの方が訪れた。

子どもや若い人たちの姿が少なくなかったのも、嬉しい傾向。

現在、石嶺町全体の人口は約22,000人だが、もとから石嶺に住んでいる方は約1000人ほどと聞く。人口が多い割に地元意識が薄いといわれる原因は、そんなところにあるのだろう。

しかし、1960年代から移住者が増え、那覇のベッドタウンとして急激に開発が進んだ今日、地域の伝統や住民同士のつながりを求める住民も増加しているように思う。

みんなかつての時代が懐かしく、つながりを求めているのだろう。

展示された1959年ごろの石嶺風景。

左右に走る道路が現在モノレールが通る大通り(首里市道2号線と呼ばれた)。耕作地がほぼなくなった、現在の状態からは想像もつかない田園風景に驚かされる。

当時を思い出して懐かしむ声が、多くの来場者から聞こえてきた。

<三嶋>

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恩納村の谷茶をあるきます

 Category: 沖縄ある記, 案内  Comment : 0


恒例になった恩納村の村歩き。

来たる3月22日(日曜日)、恩納村谷茶で開催です。

同地は恩納村で一番小さな字とされ、普段は人影もまばらですが、高台の御嶽とそこを取り巻くように流れるせせらぎが、独特の雰囲気を醸し出しています。

この機会に是非、かつての農村の姿を想像してみてください。

<三嶋>

 

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