平良橋が無くなります(たぶん)
2013年6月10日 Category: Myある記 Comment : 0
首里の儀保と平良の境にある平良橋(太平橋)は、幾多の歴史が折り重なった橋です。
1597年、尚寧王が浦添・首里間の道に石を敷かせた際に、アーチ式の石橋に改築され、名前も太平橋(たいへいきょう)に改められました。
薩摩の侵攻を受けた1609年には、浦添から首里城を目指した薩摩軍と、琉球軍百余人がこの橋で激突。大将の首をとられた琉球軍が撤退したとされます。
平良川(安謝川上流)にかかる現在の平良橋。
写真を右に進むと、儀保から石嶺にいたる大通り(県道241号線)から、経塚方面に続く県道153号線が分岐する平良交差点。
写真中央付近が西森(ニシムイ)の岩山で、現在の道路はその間を切り開いて儀保につながっています。
平良交差点側から見た平良橋。右に曲がる坂道がかつての宿道。儀保坂(ジーブビラ)と呼ばれたこの坂道沿いに、かつては平良市場(テーラマチ)があったようです。
1966(昭和41)年9月竣工、と欄干に刻まれています。
現在、この橋のすぐ上流に「たいへいばし」が完成しているので、残りの工事が完了すると、写真の平良橋は壊されるでしょう。
今が見納めですよ〜!
(三嶋)