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那覇市上之屋(うえのや)のこと

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 「那覇新都心かわら板」に連載中の、「新都心を歩く」に上之屋のことを書きました。
 那覇市上之屋は、北に隣接する字天久から1934(大正9)年に分離した字です。南は泊(以前は高橋町)、西は外人墓地の上あたり、東は安里と接する東西に細長い地域でした。
 現在の国道58号にある上之屋交差点付近から、200mほど南に下った辺りまでが中心地で、今より西側を迂回する戦前までの道路(県道)沿いに、いろいろな店舗が軒を並べていました。
 上之屋の繁栄は、久米と首里をむすぶ電車の開通を前に、潟原(現在の前島)にあった乗り合い馬車(客馬車)の駐車場が移転してきた、1913(大正2)年ごろから始まるようです。
 1915(大正4)年6月には、那覇と名護をむすぶ国頭街道が開通したので、那覇と中北部を往来する人々が増え、その客をあてこんだ人々も各地から集まるようになり、いっそうにぎわうようになりました。
 しかし、戦争の影が迫る頃から衰退しはじめ、沖縄戦と戦後の土地収用で、地域は破壊と混乱に見舞われました。
 現在は大きく様変わりした上之屋ですが、それにしても、沖縄にはそんな地域が本当に多いですね。
(三嶋)

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