前田高地の戦い
2018年9月30日 Category: Myある記 Comment : 0
浦添城跡は、沖縄戦における激戦地のひとつである。
その東側は前田高地と呼称され、昨年(2017年)公開されたハリウッド映画、「ハクソー・リッジ」の舞台となった。
映画には、住民の視点が欠けているという指摘もあったが、商業映画として成功させるには、シンプルなヒーローものとして展開する必要があったのだろう。
それよりボクが驚いたのは、驚くほどリアルな仮想空間を現出させている、映像技術である。人と人が至近距離で殺しあう生々しさは想像を超え、誰もが目を覆いたくなる恐怖を味わうことだろう。それは実写ではないかと錯覚するほどだ。
かつて戦争映画を見た父親は、「本当の戦争はこんなものではない」と漏らしていたが、最新の映像は、ホンモノ以上にホンモノらしく戦争を見せているのかもしれない。
問題がない分けではないだろう。
が、戦争体験者がやがていなくなる時が迫る今、フィクションを超えたリアルな映像表現が、戦争の実相を継承する有効なツールになるかもしれない。
そこには恐怖や嫌悪が満ち満ちていて、耐え難い苦痛を伴うのかもしれないが、それは致し方ないだろう。なぜならそれが戦争なのだから。
この場所で絶望的な戦いに身を投じた日本兵の一人に、沖縄学で著名な外間守善氏がいる。
奇跡的に生き残った氏は、その過酷な戦場体験を『私の沖縄戦記 前田高地・60年目の証言』にまとめている。
その書によれば、上記写真の手前、為朝岩の南東部250mほどの地点が、日米双方に死傷者が続出した「魔の高地」であり、戦友600余人が屍をさらした場所だという。
このハクソー(金ノコ)・リッジでは、1945年4月30日の夜、米軍が長さ15mのハシゴ4つと貨物網5つをかけてよじ登った、とアメリカ陸軍省戦史局『沖縄戦 第二次世界大戦最後の戦い』(喜名建勇訳)にあるが、崖をよじ登った全兵士は、翌日、日本軍の攻撃ですべて駆逐される。
以後、日米の兵士による壮絶な肉弾戦がこの高地で繰り広げられ、崖を登る米兵に加え、南側に回った米軍戦車や火炎放射攻撃に対し、外間氏をふくむ日本軍は、洞窟陣地に立てこもりながら必死で応戦するが、圧倒的な米軍の力にねじ伏せられていく。
あらゆる弾を撃ち尽くしたあとは、手榴弾や石を投げ、体がバラバラになった戦友の死体が壕内には積み重なった、と外間氏は書いている。
前記の『沖縄戦 第二次世界大戦最後の戦い』によれば、7日間におよんだ前田高地の戦いで、米軍は3000人以上の日本兵を殺害したと推定している。しかし米軍側の消耗も大きく、手榴弾を双方で投げ合うという肉弾戦を経て占領した結果、断崖を登った約800の米軍兵士は、324人になっていたとに記されている。
<三嶋>