鉄くずが凶器だったころ
2016年7月14日 Category: Myある記 Comment : 0
南城市に住むK氏の自宅。
玄関脇に積まれた鉄くずに目が行き、たずねると、砲弾の破片とのこと。
その中の一個(長さ30cmぐらい)を手に取ると、片手では持てない重さにたじろぎました。
これらの破片は、土木作業に長く携わってきたというK氏が、ユンボの操作中などで遭遇し、土中から掘り出したもの。
次の世代にも沖縄戦を引き継がないといけないとの思いで、捨てたり売ったりはしなかったそうですが、いつしか鉄くずが山となったようです。
想像できるでしょうか。
このギザギザに割れた鉄の塊が、爆発と同時に燃えながら飛び散るさまを。それは柔らかな肉体を一方的に切り裂き、一瞬にして人々の命を奪った鉄片なのです。
この圧倒的な鉄の存在感は、ガラス越しに置かれた博物館の展示や、写真では伝わらないでしょう。戦争の実相が、わずかでもこの鉄くずに宿っているとすれば、腐食した質感や重量感を体で受け止め、知識としてではなく血肉化していくことが、戦後世代の責務かと感じました。
いつの間にか貯ってしまったという砲弾。米軍の艦砲弾らしい。
もちろん爆発はしませんが、不気味であることに違いはありません。
<三嶋>