呉我橋
2012年10月30日 Category: Myある記 Comment : 0
名護市の呉我橋は、羽地内海に注ぐ奈佐田川に架かっています。現在の橋のすぐ上流には、1962年12月竣工の橋がありますが、今は通行止めとなっています。
戦後の呉我橋は、1953年ごろに新しく架けられたようで、同年9月の琉球新報に進捗状況が記されています。
この橋が1962年に改修されたのでしょうか? しかし、たった9年で架け替えというのも少し疑問が残ります。
また、現在の二つの橋の間には、橋げたと思われるコンクリートの塊が、川の中に残っています。
名護市史で調べると、1934(昭和9)年にコンクリート橋に改修されたとありますので、これはその残骸なのかも知れません。詳しい方がいれば、教えて欲しいところです。
とまれ、ほぼ同じ所に時代が異なる3つの橋が並んでいる場所は、珍しいのではないでしょうか。大きくカーブしながら、ゆったりと流れる奈佐田川や、静かな集落のたたずまいをながめるのもおすすめです。
(三嶋)
安和橋と西安和橋
2012年10月24日 Category: Myある記 Comment : 0
このところ古いコンクリート橋に引かれて、あちこちに出かけています。手づくり感のある橋がどれほど残っているか、よく分かりませんが北部には割りとあるようです。
写真は名護市安和にある安和橋と西安和橋。安和橋は本部循環線の安和前川に架かる橋。昔懐かしいたたずまいの、市立安和小学校がすぐ側にあります。
文字が消えかかっていますが、1958年12月31日竣工のようです。
安和橋から西に400mほど行くと、西安和橋があります。跡で調べると、またいでいるのは与那川という川のようです。
竣工は1963年11月と、こちらははっきり読む事が出来ます。
1950年代後半から1960年代前半は、インフラ整備が沖縄各地で盛んに行われていますので(っていうかそれまであまりに遅れていた)、道路や橋もこの時期あちこちで建設・整備されています。
このあと、1964(昭和39)年12月10日には安和に琉球セメント工場が完成し、沖縄初のセメント製造が稼働するようになります。
(三嶋)
続名護の橋(許田橋)
2012年7月18日 Category: Myある記 Comment : 0
先日の世富慶橋に続いて、名護の橋シリーズ(?)の第2弾。
以前にも撮影していたのですが、改めて見に行って分かりました。残念ながら正確な名称も竣工月日も、何一つ残っていません。現在残っている古い橋には、そういう所が多いですね。小さなコンクリート橋の名前などは、もはや地元の人しか知らないとか。
新聞には、1948(昭和23)年8月にコンクリートの橋が架けられた(うるま新報1948.08.27)という記事がありますが、琉米歴史研究会にたまたまあったそれらしい写真を見るとかなり小さいので、その後のものだと思い、また、新聞を探しました(ヒマですね)。
すると、1951(昭和26)年、1号線の舗装道路工事がおこなわれた際に「許田橋」架橋という記事を見つけた(沖縄タイムス1981.12.20)ので、今のところ、1951年竣工ということにしておきます。
詳しい情報をお持ちの方がいれば、お教えください。
(三嶋)
名護十字路は暑かった
2012年6月30日 Category: Myある記 Comment : 0
名護十字路周辺を歩いてきました。地元の玉城さんとそのお母さん、一夫先生とユンタクしながらの(いつものような)ブラブラ歩きです。
このところ、まち歩きのガイド養成や、町角への案内板設置など、名護の動きは活発です。
写真では小さくて分かりにくいのですが、街中には手づくり案内板がありますし、これからも増えていくので(たぶん)、捜しながら歩くといっそう楽しくなるはず。
当日は炎天下でしたが、地元ならではの体験談を聞きながら、市営市場からミドリ町、十字路周辺を散策。
すると、場所も時間も異なる自分の体験も不思議とよみがえり、懐かしいやらほろ苦いやら。
次の機会には、みなさまも是非ご参加ください。イイ汗をかきましょう。
(三嶋)
世富慶橋
2012年6月16日 Category: Myある記 Comment : 0
先日開通した名護東道路のトンネルを、初めて通って来ました。
名護東道路は、現在、伊佐川・世富慶間ですが、将来は許田まで伸びるようです。
しかし、西と東にバイパスができたら、真ん中の名護の町はますます素通りされませんかね。
でも、そうなったら、車が入らない静かな町づくりを目指したらいいように思いますね(マジで)。
世富慶(「よふけ」と読みます)には、旧「世富慶橋」がまだ現役で頑張っています。
1953(昭和28)年建設で、国道58号側の北側欄干には、横文字の筆記体で刻まれた文字が今も残っています(写真には写っていませんが)。
「七曲がり」として知られた悪路が、現在の姿に変化していった経緯なども興味がそそられるので、今後の宿題としましょう。
(三嶋)