新聞(のようなもの)を出します
2014年6月23日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
県内の博物館情報や、文化活動に取り組む組織・人物などを紹介する印刷物を、以前から作りたいと考えていましたが、とりあえず、「沖縄ある記」の活動報告を兼ねた、新聞(のようなもの)を製作して、様子を見てみることにしました。
当面は、このホームページや、FMレキオの番組ともリンクしながら、月に1度の発行を目指します。
創刊号は、前面に國吉さんのビデオレポート「コレな〜に」を紹介。ネットと紙媒体を連携・コントロールしながら、使いこなすワークショップの場にしたいと考えています。
資金や人材の不足は承知の上。
限られた条件の中で何をやるのか、何ができるのか・・・。大言壮語に終わるかもしれませんが、やってみないと分からないしね。
まずは、“みんなで汗をかきましょう”と言って回ることにします。

新聞『沖縄ある記』。A4版・1枚を新聞と呼んでいいかどうか分かりませんが、今後のページ増と継続を目標に頑張りますので、応援のほどよろしくお願いします。
(三嶋)
渡嘉敷の村は静かでした
2014年6月21日 Category: Myある記 Comment : 0
国定公園に指定されたばかりの慶良間諸島・渡嘉敷に行ってきました。
何の準備もしない日帰りツアーでしたが、レンタカーであちこち走ったり村を歩いたり、充実したホリデーとなりました。この島は、思えば、大学1年生の夏休みにキャンプし、あまりの海の透明度に感動したところ。
今から数えると40年前(え!)になりますが、観光客やダイバーが増えた以外、島の姿は当時とあまり変わっていないように感じました(港や道路・建物は立派になってます)。
でも、道で出会った95歳(!)になるというお婆さんが言うには、「島は若い人が減って寂しい」とか。観光関連の仕事は増えても、第一次・第二次産業はこの島も苦しい状況のようです。

港から続く通り沿いの壁に描かれたペンキ画。手づくり感があふれ、訪問者を温かく迎えます。

阿波連小学校の前の道には、子供たちの描いた魚の絵が並んでいます(消えかかっているのが残念)。
在校生は20名ほどのようです(津堅島の小学生ぐらいでしょうか)。
すぐそばは阿波連ビーチで、目の覚めるような青い海と白砂が広がっていますが、半裸の観光客が小学校周辺をかっ歩する環境が、いいのか悪いのか複雑な気分になります。

典型的な沖縄の集落といった風情の昼下がり。歩いている人がいないのは、40年前と変わりません。
だって暑いもんなあと考えていたら、道の向こうから一人で歩いてくるお婆さんと遭遇。
あいさつすると、何と95歳で、しかも散歩中とのこと(え!)
体に気をつけて長生きしてくださいと別れましたが、上品な笑顔と語り口が印象的で、こちらも優しい気分になれました。
(三嶋)
FMレキオは「コレな〜に」
2014年6月20日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
毎月第3金曜日は、恒例FMレキオの「沖縄ある記」放送の日。今回は、現在、試作を進めている動画コンテンツ「コレな〜に」を取り上げ、國吉さんと紹介&ユンタクしました。
これは、以前から実験していた自前の番組作りの一環で、各地の文化施設や組織などを毎月訪れ、自分たちで撮影・編集した動画コンテンツを、ネットで配信しようというもの。
器材やソフトが廉価になり、受発信の環境が整ってきたことが追い風ですが、素人でも工夫すれば面白い動画コンテンツが作れるし、そのノウハウを蓄積すれば、予算のない博物館などのサポートを市民が担うこともできるだろうと考えたからです。
こういうと結構大げさですが、こちらも金はないので、低コストで高パフォーマンスの実現を目指した努力は必須でしょうね。
また、アナログに対応できる人間力を持った人材育成や、そのための体制づくりも重要でしょう。
地域の先輩方はほとんどがアナログ世界の住人ですし、ITやらPCやらを受け付けない人たちの知見や、ジンブン(生活文化)を引き出して記録することこそが、われわれの火急的課題だと思うからです。
見栄えよりも地域と真摯に向き合い、そこに生きる人たちの足跡や記憶を拾う作業を重視したいですよね。なので、手づくり映像コンテンツ製作という選択は、必然ともいえるのではないでしょうか。
とはいえ、われらがNPO代表・國吉宏昭(ヒロくん)が、ナビ役として登場(予定)する「コレな〜に」シリーズが、今後どう転がっていくのか、ホントはチョッピシ心配なのです。

ラジオのパーソナリティーがすっかり板についた國吉さん(左)。2時台から引き続いて、3時代の「沖縄ある記」に出演。今回は居眠りナシでした。
(三嶋)
バーキ交流会
2014年6月15日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
佐敷小谷でバーキ作りを続けている、知念さん親子のもとを名護の人たちが訪れ、和やかな交流が行われました。
昨年度、「沖縄ある記」も参加した南城市商工会の事業で、佐敷小谷の地域資源調査やマップ作りなどを実施しましたが、その際、竹細工について教えてもらった名護の島袋正敏さんたちと、小谷の方たちが交流できるといいなあと思っていたところなので、ちょうどいい出会いが実現した形となりました(今回、こちらは何もしていませんが)。
やはり、共通の意識のある人たちは、互いに引かれ合うということなんでしょうかね。

はじめは遠慮していた知念さんのお父さん(背中)ですが、ヤンバルから上等のタケを用意してきた客人の求めに応じ、タケを細く割きはじめました。

バーキの底ができ上がってきた段階。話をチラチラ聞いていると、名護の作り方と細かな所で多少の違いがある様子(よく分かんないけど)。
知念さんのお父さんは、簡単そうにテキパキと編んでいきますが、「手が覚えているからできるはず」と名護の方から称賛の声。お父さんが柔和な表情で作業を続けるため、よけい簡単に見えてしまいますが、ほんとはかなり難しい技のようです。

足をバーキの中に入れて行う仕上げ段階。
四方に広がっていた底からつながる竹を、巻き込みながら縁を作る(意味が分かるかな?)と完成です。竹を細く削ってから完成まで、正味2時間ぐらいだったでしょうか。
見ているこちらが飽きる間もなく、青々とした1個のバーキが完成しました。
お父さんの手さばきは、ひょうひょうとしていながらリズミカル。無駄がなく的確だと素人目にも分かります。ヤンバルの人たちから「いい勉強になりました」と感謝の言葉を贈られ、はにかんでいたのが印象的でした。
(三嶋)
津堅島ワークショップ報告
2014年6月14日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
今年度予定している「嘉保プロジェクト」の一環で、2回目となる「津堅島ある記」を実施しました。
今回は、「キリ学(沖縄キリスト教学院大学)」の学生約10人も参加して、お年寄りとの交流や島内散策を行い、有意義な時間を共有できたと思います。時おり大雨が降る生憎の天気でしたが、若い人の参加で周囲が明るくなり、大いに助かりました。
もう一つの目的であった、地域写真展のための情報収集は今ひとつだったので、次回も継続かと考えていますが、とにかく、(初対面にも関わらず)お年寄りと学生とがにぎやかに懇談できてよかったと思います。なかでも、若い人たちが「元気をもらえた」と喜んでいたのが印象的で、戦争を生き抜いたオバアちゃんたちのパワーに、彼女たちもタジタジになったようでした。

学生は雨もたいして気にせず楽しげです。(ジジくさい言い方ですが)若さの特権ですよね。

施設のお年寄りに集まってもらい、古い写真をみながらユンタク。限られた短い時間でしたが、いろいろな話を聞くことができました。

津堅小中学校。大きくて立派な校舎が、壁画の向こうに見えますが、現在の在校生は、小学生と中学生を合わせて30人ほど。
この学校出身の嘉保博道さんが、南極観測船「宗谷」で島の沖合を通過した1959 (昭和34)年11月4日朝、近くの山から見送った全校生徒の数が500人余と当時の新聞にありますから、いかに人口が減ったかが分かりますよね。
(三嶋)
