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本部追伸

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『しまたてぃ』の追加取材と、場所がわからなかった琉米歴史研究会所蔵の写真のひとつを確かめようと、本部町に行って来ました。


背後に見える島が、右端の形から瀬底島ではないかと玉城一男さんが指摘していましたが、比べてみると見事、ピタリと一致しました。
ずっと恩納村の名嘉真ふきんではないかと考えていたので、けっこう驚きました。思い込みはいけないですね。
次に、写真左の松が生えた岩はどこだろうかと探した結果、次の場所ではないかと思い、撮影してみた次第(いまいち説得力に欠けますが)。


でも、現在の道路の右側が海だったことは、中村英男さんも話していました。
狭かった本部港南側の土地を拡大するのは住民の悲願であり、戦後の埋め立てが続いた結果、今の街並みが出来上がったことになります。


山の上から見た本部町谷茶。渡久地港の前にかかる本部大橋や、伊江島も一望できる場所。だからこそ、戦時中には、敵を監視する見張所(監視哨)が置かれたのでしょう。


ということで、お馴染みの中村英男さんに案内してもらい、監視哨を訪ねました。
中村さんは15歳の時、「十・十空襲(1944.10.10)」の前日、9日の夕方までこの場所で実際に勤務していました。
ここでは米軍機のシルエットを覚えたり、遠くに見える伊江島タッチューの高さを目安に、飛行機の高度を推定したりしていたそうです。

痛ましいのは、任務を引き継いだグループの中にいた同級生(比嘉君)が、空襲のさなかに亡くなったことで、一番若かった彼は、空襲で電線が不通となったため、敵機来襲を那覇に伝達する指示を受けて山道を駆け下り、近くの本部警察署を目指したのですが、その後、消息が途絶えてしまいました。
この同級生の死はほとんど知られておらず、今は語る者もいなくなったそうですが、その中村さんも「十・十空襲」で壮絶な体験をしたことは、以前ここで書いた(はず)と思うので割愛です。
<三嶋>

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