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特定非営利活動法人
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宮城橋

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 南風原町の字大名と字宮城の境に架かる、宮城橋です。すぐ近くの頭上を那覇空港自動車道が通り、イオン南風原店などの影響で交通量も増えたためか、交差点の改修と道路拡幅工事が進んでいます。
 以前から混雑する交差点としては認識していましたが、すぐ近くのこの橋には気付きませんでした。昭和47年6月竣工とありますから、本土復帰のさなかに造られていたんですね。
(三嶋)

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久茂地橋と久茂地公民館(少年会館)

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 久茂地川に架かる久茂地橋から見た風景。
 橋がある通りは、国際通りと1号線(国道58号)を結ぶ道路として、1958(昭和33)年2月に開通したもので、その年の3月に、一般公募で「一銀通り」に決まったようです。国際通りの角に第一相互銀行があったからですね。
 現在の橋は2001(平成13)年に改修されたもの。
 欄干や擬宝珠(ぎぼし=欄干の端にあるタマネギみたいなやつ)には、写真のように星がデザインされていますが、これは久茂地公民館(旧少年会館)にあったプラネタリウムにちなんでいます(擬宝珠はまさにプラネタリウムの形です)。
 以前は橋の上から、欄干の向こうに久茂地公民館が見えたのですが、取り壊されて更地になった今、星も行き場を失ってしまったかな?
(三嶋)

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黙認耕作地のフェンス

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 読谷村座喜味で行われた「ふれあい祭り」の一環として、喜納の方々と「喜納歩き」に参加しました。
 予備調査を行った場所をいくつか回りましたが、今回は女性や子供も一緒に、お喋りをしながら野中の道をのんびりと歩くといった風情。戦前の住居がいくつかあれば、まさにタイムスリップしたように感じたでしょう。東の端まで行くと、嘉手納弾薬庫のフェンスが写真のように行く手を遮りますが。
(三嶋)

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青島の元宮

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 宮崎の青島に久しぶりに行きました。
 海につき出たこの島は、「鬼の洗濯板」と呼ばれる波状の岩で周囲が囲まれ、亜熱帯の植物が繁茂していることで知られています。
 しかし、宮崎を代表する観光スポットのこの島の中央に、素朴で静謐なこんな神社があったことは、あまり気にしたことがありませんでした。
 驚いたのは、ビロウ(沖縄でクバ)の林が周囲を取り巻いていたことで、思わず古代のウタキ(御嶽)をイメージしてしまいました。
 足下には白い砂が続き、祠の周りは古代から続くクバの森。島に打ち寄せる潮騒をすぐそばに聞きながら、ゆらゆらと木漏れ日が漏れる空間に立つと、自然の中に神を感じた原始の感覚が蘇るようで、ウタキの意味が少し分かったような気がしました。ここは宮崎ですけど。
(三嶋)

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仲良橋

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 那覇市の久茂地川に架かる仲良橋(なかよしばし)。久茂地川は、写真のすぐ上流(東・写真では右)で、安里川と分かれて国場川に注いでいます。
 この辺りは、はるか昔は遠浅の海で、1451年に時の王様・尚金福が造らせた海中道路(長虹堤)が、崇元寺から松山付近まで久茂地川と並行に走っていました。
 仲良橋が当時からあったかどうかはよく分かりませんが、写真のコンクリート橋には、「昭和34年4月10日竣工」の文字が刻まれていました。
 近くにある崇元寺橋(安里橋)や美栄橋は、立体交差やモノレール駅の建設などと合わせてモダンな姿に生まれ変わっていますが、この橋は昭和の感じを残していて、そのギャップに笑ってしまいます。
(三嶋)

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