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水明橋

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 名護市安和の水明橋(すいめいばし)に行ってきました。
 1933(昭和8)年7月に完成した初代の橋は、沖縄有数の美しいアーチ式のコンクリート橋だったようです。
 本部と屋部(現名護市)を結ぶ道は、海に突き出すガケに邪魔され、山越えの細く険しいルートしかなかったため、難工事の末に完成したこの橋で、本部半島が周できるようになった意義は大きかったと思われます。
 写真の橋は1962(昭和37)年12月に完成したもの。
 近隣町村を結び、その発展に欠かせない存在でしたが、やがて海岸沿いに新しい道路が建設されるとその役目を終え、今は埃にまみれて忘れ去られようとしています。
(三嶋)

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大城勝の絵画作品

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 学生時代からの友人である、大城勝君が亡くなりました。
 ほとんど作品を発表してこなかった彼の遺言で、告別式の会場に絵画作品を並べました。1周忌の来年11月に、遺作展を計画しています。
(三嶋)

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呉我橋

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 名護市の呉我橋は、羽地内海に注ぐ奈佐田川に架かっています。現在の橋のすぐ上流には、1962年12月竣工の橋がありますが、今は通行止めとなっています。
 戦後の呉我橋は、1953年ごろに新しく架けられたようで、同年9月の琉球新報に進捗状況が記されています。
 この橋が1962年に改修されたのでしょうか? しかし、たった9年で架け替えというのも少し疑問が残ります。

 また、現在の二つの橋の間には、橋げたと思われるコンクリートの塊が、川の中に残っています。
 名護市史で調べると、1934(昭和9)年にコンクリート橋に改修されたとありますので、これはその残骸なのかも知れません。詳しい方がいれば、教えて欲しいところです。
 とまれ、ほぼ同じ所に時代が異なる3つの橋が並んでいる場所は、珍しいのではないでしょうか。大きくカーブしながら、ゆったりと流れる奈佐田川や、静かな集落のたたずまいをながめるのもおすすめです。
(三嶋)

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安和橋と西安和橋

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 このところ古いコンクリート橋に引かれて、あちこちに出かけています。手づくり感のある橋がどれほど残っているか、よく分かりませんが北部には割りとあるようです。
 写真は名護市安和にある安和橋と西安和橋。安和橋は本部循環線の安和前川に架かる橋。昔懐かしいたたずまいの、市立安和小学校がすぐ側にあります。
 文字が消えかかっていますが、1958年12月31日竣工のようです。

 安和橋から西に400mほど行くと、西安和橋があります。跡で調べると、またいでいるのは与那川という川のようです。
 竣工は1963年11月と、こちらははっきり読む事が出来ます。
 1950年代後半から1960年代前半は、インフラ整備が沖縄各地で盛んに行われていますので(っていうかそれまであまりに遅れていた)、道路や橋もこの時期あちこちで建設・整備されています。
 このあと、1964(昭和39)年12月10日には安和に琉球セメント工場が完成し、沖縄初のセメント製造が稼働するようになります。
(三嶋)

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千歳橋

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 県立博物館・美術館で開催されている、山田實さんの写真展に関連する催しとして、氏が撮影した場所を巡るツアーのガイドをしてきました。地元にはより詳しい方々がたくさんいらっしゃるので、恥ずかしながらの1日でしたが、お陰で勉強させてもらいました。
 写真は千歳橋の跡です。現在は牧志3丁目と松尾の境に位置しているようです。
 かつてはこの通りが千歳通りと呼ばれ、その先が浮島通りと呼ばれていたようです。
 この下に流れるガーブ川のようすを想像すると・・・したくないなあ。
(三嶋)

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