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沖縄ある記

 

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特定非営利活動法人
沖縄ある記
(地域文化支援ネットワーク)

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泉崎橋

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 久美橋に続いては、その南に架かる泉崎橋。
 もともとは琉球王国時代に造られた石橋で、中国風の三連のアーチ橋は、葛飾北斎の「琉球八景」にも描かれた名橋として知られていました。
 しかし、沖縄戦で破壊されたため、現在のコンクリート橋は戦後、1958(昭和33)年8月になってようやく完成しました。
 中央が膨れた太鼓型の形状は、石橋だったころのスタイルを踏襲したと思います。
 現在の橋が完成した際の新聞を見つけたので、現在の姿と比較(反対側からですが)しました。真ん中が盛り上っているのが分かりますね。
 しかし、完成当時、高圧線の鉄塔(米軍使用の)がすぐ側を走っていたことから、橋はできても通れないと大きな問題になりました(無茶苦茶だ)。
(三嶋)

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久美橋

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 最近、沖縄島北部の橋が、次々に架け替えられています。
 ヤンバルは、戦前・戦後のコンクリート橋が数多く残っている地域ですが、その姿をかなり減らしつつあります。
 もう少し事前に、広く知らせて欲しかったなあと残念です。
 「公共工事」が叩かれないためにも、土木事業が地域に果たしてきた役割や歴史もろもろを、地域住民や子供たちに分かりやすく伝える努力が、日ごろから必要ではないでしょうか。住民と行政がよりよい関係を築くためにも、ソフトな交流が必要だと思うんですよね。
 そんななか、がぜん希少価値が高まるのが、那覇市の真ん中を流れる久茂地川に現存する、1950年代の4つの橋(仲良橋・久美橋・甲辰橋・泉崎橋)! ではないでしょうか。
 1959(昭和34)年7月5日竣工した久美の、コンクリートの欄干や水面に映える曲線はなかなかの味わいでは?
 久茂地町と美栄橋町の名から、一文字づつとって名付けられた昭和の橋の頭上を、モノレールが行く風景も面白いと思います。が、車体の絵が汚い点はいただけません。
 「育てたい まちなみ」と書かれていますが(首里城の絵が描かれた車体もあります)、街並みを汚している当事者のように見えてしまうのは、ボクだけでしょうか。
(三嶋)

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「しまたてぃPlus」の公開

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 沖縄しまたて協会の情報誌『しまたてぃ』のweb版、「しまたてぃPlus」が公開されました。
http://okiaruki.com/simatate/
 これまで連載を続けさせてもらっている上に、こういうサイト構築も請け負わせてもらった「沖縄ある記」としては、かなりのプレッシャーですが、これを機会に、いっそう頑張らねばと気合いが入ります。
 面白いサイト運営は、いろんな人たちの力を借りなければ不可能です。みなさまの変わらないご協力とご支援を、よろしくお願いします。
(三嶋)

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『しまたてぃ』取材+「普天間ある記」

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 『しまたてぃ』64号の取材と合わせて、「普天間ある記」を実施しました。
 普天満山神宮寺の御住職・金城啓雅氏に御案内いただき、普天満神宮寺と神宮からあちこち歩き、楽しい時間をすごしました。
 写真のソバは、あたりで一番古いという「三角食堂」で食べたもの。店先のサクラをきれいでしたが、普天間高校OBでもある住職の懐かしい話にも花が咲いて、いちだんと美味しいソバになりました。
 その後は、近くの山田真山氏アトリエから本町通りに入り、引き返して新開地(2丁目)のあちこちをブラブラと歩き、住職の知り合いが営む居酒屋でひと休みして、お寺に帰ってきました。
 一時期は5軒あったという映画館や飲み屋の数などからも、普天間のかつてのにぎわいが伝わって来ましたが、反面あちこちシャッターが降りている店も多く、そのギャップが今の普天間を物語っているんでしょうね。
(三嶋)

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「普天間ある記」の前に

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 今週末9日(土)予定の、『しまたてぃ』取材&ある記の準備で、普天間の街をあちこち歩いてきました。
 三差路から本町通り、すずらん通り付近がメインになりそうです。華やかだった時代の残滓があちこちに散見される街には、同様の経緯をたどった他地域と同じ寂寥感が漂っていますが、個人的にはこの感じが嫌いではないですね(行政的には困っているんでしょうが)。
(三嶋)

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