戦後沖縄の原点を歩く〜石川ある記報告〜
2013年5月27日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
先週の日曜日(5月25日)、『しまたてぃ』取材をかねた、石川の「ある記」を行いました。
前半は小雨がパラつく天気でしたが、途中から雨も上がって何とか無事に終了することができました。案内していただいた石川部落会会長の松田盛市さんや、石川堂の富間博さん、うるま市教育委員会の宮里実雄さんに感謝です。
お忙しいなか同行いただきありがとうございました。
さて、当日はどうだったかですが、戦後史のアレやコレがぎっしり詰まった石川は、「オモシロ不思議な街」という印象でした。戦後の痕跡や昭和の名残りに加え、「戦後初」があちこちにあるので、懐かしいだけじゃない、生きた教材に出会える町といえるでしょう。知れば知るほど知りたくなりました。
でも、案内や解説板などが少ないのが残念。
今回名護から参加された玉城一男さんや宮城一夫さんが、仲間と一緒に名護の町中に取り付けたような、写真入りの案内板が石川にもあったらイイんじゃないでしょうか。そこに、ガイドの解説がついたら、もっと町歩きが楽しめますよね。
集合した石川部落事務所からして、すでに築80年の文化財。
松田さんの体験話も面白く聞く事ができました(ギャラリーからの質問やツッコミが多くて、やり難かったと思いますがお許しを)。
規則的に並んだスージ道が石川の特徴。表通りから一歩なかに入ると、懐かしい風景があちこちに残っています。
戦後初の新聞(ウルマ新報)が刷られた跡地。某銀行の駐車場になっていますが、何の表示もありません。これって結構悲しいですね(涙)。地域の誇りではないですか? 「R新報」さんも、先輩方に敬意を払う何かを残してもいいのでは? などと、みんなでつぶやいたのです(アナログで)。
まだまだ、書き足りませんが、詳しくは『しまたてぃ』65号に掲載予定(たぶん)ですので、ご覧ください。
(三嶋)
「石川ある記」のご案内
2013年5月22日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
先週の報告会で盛り上ったせいでもありませんが、さっそく石川の町歩きの企画が急きょ決定しました。
今週土曜日25日(土曜日)10時から2時間程度、石川の中心地周辺を散策しますので、ご希望の方はご連絡ください(直接来られる方は、写真の「石川部落事務所」に参集ください)。
石川はご存知のように戦後沖縄の出発地点となった場所ですが、その割に、当時の話をまとめた出版物やコンテンツは多くないように思います。
次回の『しまたてぃ』ではその辺の時代に迫りたいと思いますので、是非、取材&散策にご参加いただき、一緒に“ある記”を楽しみましょう!
(三嶋)
報告会終了
2013年5月21日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
先週の日曜日(5月19日)、「地域文化支援ネットワーク(沖縄ある記)報告会」が、おかげさまで無事終了しました。
お忙しいなか名護や嘉手納、知念からも参加いただき、ありがとうございました。
プロジェクターが不機嫌で開始が遅れ、用意した資料を全部公開できなかったので、入り用の方がいればお知らせください(せっかく作ったし)。データをお送りします(いらないか?)
次の機会には(いつになるかな?)、またご参加のほどよろしくお願いいたします。
(三嶋)
安謝トンネル
2013年5月1日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
「那覇新都心かわら板」に、安謝のトンネルのことを書きました。
トンネル(といっても国道58号下の通路?のことですが)とその周辺は、地域の戦後史が垣間見える場所です。
このあたりは、戦前まで安謝川の河口から続く湿地帯、原野だったようです。
戦後、米軍が旧県道(現国道58号)をかさ上げして、軍道(1号線)を建設した際、東西に分断された部落をつなぐ必要からトンネルが造られました。現在の安謝市営住宅付近から琉球新報社あたりにかけては、戦前まで往来する荷馬車には辛い急坂だったため、所によっては10mほどもかさ上げされたようです。
町としてのにぎわいは、皮肉にも1953(昭和28)年4月に米軍が安謝の土地接収を強行したことに始まります。安謝小学校の南側などに居住していた人々が、周辺にあふれるようになり、小学校前の通りに商店街が形成されるほどになったのです。
トンネルの中にはマチヤグヮー(雑貨店)もでき、行き交う人々に親しまれていたそうですが、現在の高架橋が造られた1991年ごろ、店じまいしています。
寂しくなってしまった商店街を歩くと、かつて響いたであろう売り込みの声や笑い声が、かすかに聞こえるようでした。
(三嶋)
喜名マップが完成です
2013年4月30日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
読谷村喜名の地域マップ「ちなーマーイ」ができ上がりました。文化庁の事業の一環で、昨年の座喜味編に続くものです。
喜名部落の中心地は、ペリー一行が立ち寄った話で知られる喜名番所をほぼ真ん中にして、国道58号から東が戦前、西が戦後とはっきり別れます。戦前までのもとの部落が、知花弾薬庫の土地として接収されたため、西側に移住せざるを得なかった分けです。
今では黙認耕作地となっている地域に本来の集落があった分けで、戦前の風景を覚えている方々とかつてのムラの跡を歩くと、懐かしさと寂しさが交錯しているようでした。
今回の地図も、前回同様に島袋美由紀さんの手描きイラスト&解説です。楽しんで読んでもらえればと思います(一般への配布予定はないけど)。
(三嶋)