知念ある記、怒濤の第3弾がスベる
2013年9月30日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
第3回の知念ある記を日曜日29日に実施しましたが、話を急ぎすぎたのかさすがに疲れたのか、ドタキャンもあって参加者は私一人。地元では10人ほどの方々が集まっていたので申し訳ない気分でしたが、みなさん楽しげだったので少しだけ救われた思いでした。
今回は、これまで行けなかった海岸寄りの地域を歩くのがおもな目的でした。時間が短く物足りない感じでしたが、地元でもあまり知られていない場所や伝承などをみんなで共有できたのは、収穫のひとつでしょう。
また、集落がある高台から海岸近くまで急坂を下り、再び登るだけで結構な運動になったのかと思いきや、ほとんどがこちらより先輩の方々、みなさん平気な顔をしています。小さな時分から坂を上り下りして鍛えた健脚故でしょうか。みなさん元気です。

集落の東部に位置する高台にある波田真殿(はだまトゥン)。先月の綱引きでは、終了後に綱の末端部を切り取り、ここで燃やして無事を報告していました。
殿は村の祈りが行われる場所で、北部の神アサギと同じと考えられています。

ナガラ墓。集落東にあるハンタマシと呼ばれるガケを下り(階段があります)、さらに少し下った道沿いにある墓。海岸に漂着した遺体を埋葬した場所ということでしたが、草木が繁茂して入口部は確認できませんでした。「ナガラ」は「流れ」だと思われます。

海岸近くにあり竜宮神を祀る拝所。かつては糸満漁民の流れをくむ集落・ハマヤーが近くにあり、旧暦3月3日の浜下りの日には、スクガラスなどを供えてみんなで祈っていたとか。現在は行われていないようです。

神山殿(トゥン)。アカギなどが生い茂る森の中にある拝所で、厳かな雰囲気が満ちています。殿には70cmほどの石柱が4本残っていて、赤瓦の破片も多数落ちています。背後には静謐な空間が広がり、その後ろの山はかつて風葬の場だったと聞きました。
(三嶋)
「知念ある記」が始まりました
2013年9月8日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
南城市における地域マップ作りを、字小谷に続いて字知念でも始めています。
合併する前は旧知念村知念なので、字は南城市知念知念となります。何だかン?と思いますが、字佐敷や字玉城もそれぞれ佐敷佐敷、玉城玉城となっています。地名にはそれぞれの土地に固有の歴史があり、人々の思いが込められていますから、行政の都合だけで簡単に変えるのには違和感を覚えます(そういえば、日本地名研究所所長で、地名にはひときわこだわっていた民俗学者・谷川健一氏も亡くなりましたね)。
さて、字知念ですが、広すぎてまだつかみ切れないというのが正直なところ。地元の方にイロイロ教えてもらいながら、進めていこうと考えています。

公民館(コミュニティーセンター)で地域の人たちにあいさつ。

玉城の「受水・走水(ウキンジュ・ハインジュ)」と並び、稲作発祥の伝説があるウファカル。知念城跡から続く森を抜け、視界が開ける湿地帯にありますが、ここが水田だった!という場所はよく分かりませんでした。う〜ん、無くなったのでしょうか? 残念!
(三嶋)
小谷ある記
2013年8月12日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
旧佐敷町の字小谷(おこく)を、地元の方々と歩きました。
小谷は、大里の丘陵地を背後に抱え、静かな中城湾が目の前に広がる美しい村です。
海側の平地を田畑にした関係で、傾斜地に形成された集落は、集落内の道を石で覆ったり、随所に竹を植えて土砂の流出を防いだものと思われます。
長い間守られてきたこれらのものは、先人の知恵と努力で受け継がれた「地域の宝」と言えるものでしょう。
しかし、竹細工は1960年代に途絶え、石畳道は1ヶ所を残すのみになってしまいました。水量豊かだったという、上中下に連なる三つのカーからは、(日照りの影響もあるのか)今はもう水音が聞こえません。
自然と一体となった暮らしと引き換えに、私たちが手に入れた「豊かな生活」は、私たちを本当に幸せにしたのか? とここでも考えさせられました。

(三嶋)
那覇新都心の町歩きが無事終了
2013年7月29日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
参加申し込み者が少なく、どうなることかと心配していた「新都心ある記」が、無事終了しました。
案ずるよりは産むが易し。何とかなるもんだ、とみなさまに感謝です(名護からは3人も参加がありました)。
予定では、新都心南側のシュガーローフと黄金森公園付近から、北側に移動して、古墓などを見て博物館・美術館に帰るつもりでしたが、「シュガーローフの会」代表の具志堅青鳥さんが解説を買って出られたので、シュガーローフと周辺の散策時間を急きょ変更して拡大することに。
おかげで、最近発見したという、日本軍のガマも確認することができ、当時の生々しい様子も追体験する事ができましたが、朝から照りつける強烈な日差しで、こちらも戦意喪失。
時間も気になったので予定のコースを半分で切り上げ、美術館の裏に移動。そこに設置してある彫刻の作者、ゴヤ・フリオさんとの歓談を最後にお開きとしました。
割愛した北側のポイントは、次回(いつかな?)にリベンジです!
ボクの話をはじめ、反省点は結構ありますが、とりあえず面白かったので、よしとしましょうよ。
なお、この歩きをネタに、今週のユンタク会(8月2日金曜日7時〜/バグハウス事務所)は、開催したいと思います。
歩きに参加した人もそうでない人も、もう一度ふり返りながらユンタクしたいと思いますので、気軽にお越しください。
また、いつものようにネットでも中継しますので、参加できない方はこちらでスーミーしてください。
http://www.ustream.tv/channel/okiaruki
※当日配布した資料が欲しい方は、お知らせください。
(三嶋)

旧日本軍の壕入口と思われる場所をさす、具志堅青鳥さん(シュガーローフの会代表)

壕の近くからしみ出す地下水。道路はかつての「マカン道」

自作の前で談笑するゴヤ・フリオ氏(右)
