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沖縄ある記

 

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特定非営利活動法人
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こだわりの音

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FMレキオの「沖縄ある記」アワー無事終了。
今回のゲストは、われわれの仲間の秋庭健志さん。スピーカーを手づくりしている首里の工房(スペック・プロジェクト)を、先日取材したばかり(8月5日のブログ↓)なので、その感想を聞き、持ってきてもらったレアな曲を聴いてたいへん刺激を受けました。
オーディオ方面に疎いため、あまり話がかみ合わなかったかもしれませんが、地元でモノづくりに励む方にはシンパシイを感じます。取材や編集・デザインなどを生業にしているこちらも、手づくりという点では同じですし、金より気持ちで仕事に取り組む点も同じかと想像します(ビンボーも同じ?)
また、秋庭氏に選曲・解説したもらった曲も、なかなか出会えない類のものなので聴き得でした。特に、平和通りで弾き語りをしていたという、奄美出身の盲目のシンガーの話には引きつけられましたね。
機会があれば、続編を考えたいと思いました。

●FMレキオ「沖縄ある記アワー」

秋庭氏(左)とFMレキオスタジオにて。
こういうのもアリですね、國吉さん。
(三嶋)

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FMレキオとユンタク会の連チャンでした

 Category: 沖縄ある記, ユンタク会  Comment : 0


毎月第3金曜日の3時から放送している、FMレキオの「沖縄ある記」では、『しまたてぃ』取材でお世話になった赤嶺和雄さんをゲストに迎え、小禄の思い出話などを、國吉さん、玉那覇さんを交えてお送りしました。
那覇の人からすると、国場川の向こう側は何となく馴染みが薄いようですが(小禄も那覇市内ですけどね)、たぐっていけばいろんな接点が見つかるもので、炸裂した小禄をめぐるお三方の思い出話が、放送時間いっぱい続きました。

で、場所をバグハウスに変えた夜7時からのユンタク会でも、引き続いて小禄の話。
こちらでは地図をベースに、位置と景観や出来事を関連付けながら私が進行を務めましたが、うまくいったかどうか。すでにYouTubeにupしていますので、お確かめください。


FMレキオのスタジオにて。左から國吉さん、赤嶺さん、小生、玉那覇さん。


夜のユンタク会では、子供のころ小禄(宇栄原)にいた與那嶺エイ子さんにも参加してもらい、思い出話など聞かせてもらいました。
(三嶋)

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月刊新聞(のようなもの)「沖縄ある記」Vol.2が完成です

 Category: 沖縄ある記  Comment : 0


創刊2号となる、紙の「沖縄ある記」が刷り上がりました。
今回は、県立博物館・美術館の1階にある「ふれあい体験室」を、國吉宏昭氏が体験ルポしています。
6月30日には、「コレな〜に02琉装着衣体験」としてYouTubeにupしてありますので、國吉さんの活躍を動画でもご覧ください。

(三嶋)

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“小禄ある記”が完成です

 Category: 沖縄ある記  Comment : 0


『しまたてぃ』69号が刷り上がりました。
今回の「戦後を歩く」シリーズでは、小禄を取り上げましたが、今回はかなりドタバタだった(いつもですが)ので、ちょっと心配。
しかし、ミスなどの指摘は、知らなかったことを教えてもらうチャンスなので、かえって有り難いもの。スルーされるよりはるかにイイことだと歓迎します。
とにかく読んでもらいたい、意見をいただければと思います。

(三嶋)

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宮古は今日もハレだった

 Category: 沖縄ある記  Comment : 0


『しまたてぃ』の取材で宮古に行ってきました。
マクラム通りと呼ばれる、平良港(漲水港)から市街地を抜けるメインストリートを歩き、聞き取りなどを行いましたが、あまりの暑さにビックリ。那覇と日差しが違う感じです。 
日陰を探しながらのヨタヨタ歩きで、どこまで語れるか不安ですが(ホントに)、そこも含めて出版されたら読んでね(まだ書いてもいないけど)。


今も通りに名を残すマクラムさんは、1946(昭和21)年10月、宮古に着任した南部琉球軍政官(中佐)でした。
米軍のエライさんですね。で、翌年に転出・再任され、その翌年(1948年)ごろ宮古を離れたようですが、現在までに分かったのはそれだけ。
正直、え〜っていう感じ。道路に名前まで付いた人の詳細が、よく分からないんですよ。
また、マクラム道路も、1947(昭和22)年9月に完成したとあるものの、港からどこまでか正確に分からない。南に位置する宮古島測候所(南部琉球軍政府があった)までか、途中の下里交差点あたりまでなのか・・・。


宮古市役所前のマクラム通り。このあたりは、戦前から県の支庁や警察署などが並び、「支庁前通り」とも呼ばれていたとか。
張り紙を見て、チルダイした体にケリを入れられましたが、暑いものは暑いしねえ。


こりゃあ、チルダイ気分が昂進するでしょう。笑うしかないですね。
(三嶋)

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