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沖縄ある記

 

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特定非営利活動法人
沖縄ある記
(地域文化支援ネットワーク)

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“小禄ある記”が完成です

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『しまたてぃ』69号が刷り上がりました。
今回の「戦後を歩く」シリーズでは、小禄を取り上げましたが、今回はかなりドタバタだった(いつもですが)ので、ちょっと心配。
しかし、ミスなどの指摘は、知らなかったことを教えてもらうチャンスなので、かえって有り難いもの。スルーされるよりはるかにイイことだと歓迎します。
とにかく読んでもらいたい、意見をいただければと思います。

(三嶋)

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宮古は今日もハレだった

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『しまたてぃ』の取材で宮古に行ってきました。
マクラム通りと呼ばれる、平良港(漲水港)から市街地を抜けるメインストリートを歩き、聞き取りなどを行いましたが、あまりの暑さにビックリ。那覇と日差しが違う感じです。 
日陰を探しながらのヨタヨタ歩きで、どこまで語れるか不安ですが(ホントに)、そこも含めて出版されたら読んでね(まだ書いてもいないけど)。


今も通りに名を残すマクラムさんは、1946(昭和21)年10月、宮古に着任した南部琉球軍政官(中佐)でした。
米軍のエライさんですね。で、翌年に転出・再任され、その翌年(1948年)ごろ宮古を離れたようですが、現在までに分かったのはそれだけ。
正直、え〜っていう感じ。道路に名前まで付いた人の詳細が、よく分からないんですよ。
また、マクラム道路も、1947(昭和22)年9月に完成したとあるものの、港からどこまでか正確に分からない。南に位置する宮古島測候所(南部琉球軍政府があった)までか、途中の下里交差点あたりまでなのか・・・。


宮古市役所前のマクラム通り。このあたりは、戦前から県の支庁や警察署などが並び、「支庁前通り」とも呼ばれていたとか。
張り紙を見て、チルダイした体にケリを入れられましたが、暑いものは暑いしねえ。


こりゃあ、チルダイ気分が昂進するでしょう。笑うしかないですね。
(三嶋)

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小禄の追加取材

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『しまたてぃ』の追加撮影で、宇栄原・高良に行ってきました。
強烈な西日を浴びて倒れそうでしたが、何とか必死で持ちこたえた、生還した次第(んなオーバーな)。


「強烈な西日」を演出してみました。が、実際たいへんな暑さではありました。
バス停の名称として残る「高良市場」は、大勢の人があふれたと今も語られる、小禄の戦後復活を印象づける場所だったようですが、現在その痕跡は、このバス停以外ほとんど見当たりません。


小禄新町からは、緑の芝生が鮮やかな自衛隊那覇基地が、建物越しに見えます(写真中央上)。
かつての米軍は自衛隊となり、この飲食街にも貢献しているようです。
あれほど反対運動があった隊員の受け入れも、戦後史の1ページとなったのでしょうか。時代が逆回転しているような昨今の浮世を見ていると、さもありなん。ため息が漏れます。


新町通りで一番にぎやかな三差路の角に、スペシャルボックスを発見。
宵の口、近所のオヤジ連中が集まっては、グダグダとビールでも飲んでいるんでしょうか(見てないけど)。
いいなあ〜。
(三嶋)

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前川と堀川に行きました

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南城市玉城前川の地域マップが完成し、ようやく公民館に納品してきました。
地域を案内する際に、ぜひ使っていただきたいものです。


前川公民館に併設されているホールの舞台には、地元の画家・黒潮波男さんの手による、戦前の風景が描かれています。
集落の西側、現在三差路になっているあたりで、戦前はバンクと呼ばれた場所でした。クムイ(ため池)の前に生い茂る松の大木があり、そこが村芝居の舞台となったそうです。
マツの大木は戦後も3本ほどが残っていましたが、いつの間にかなくなり、クムイも埋められてしまったと聞きました。
区長さんによると、このホールがある公民館も、今年建て替えられるとか。
この絵は何とか残せるといいですけどね。

前川から、県道17号線を雄樋川(ユーヒガー)沿いに下ると、やがて長毛(ナガモー)に着きます。
その河口に、面白そうな橋を見つけて車を止めました。
こちら側が八重瀬町長毛で、対岸が南城市玉城堀川となりますが、戸惑ったのは、堀川側の欄干の柱に「ほりかわば志」とあり、もどって長毛側を見ると「堀川橋」と刻まれていること。
「う〜ん、“ほりかわば志”も味があるけど・・・どっちかにしてほしい」とうなりましたが、(意味はないけど)「堀川橋」を採用しましょう。
ちなみに竣工はどちらにも、「一九六三年四月」と刻まれています。
これはこれで「う〜ん、昭和38年。東京オリンピックの前年だ・・・」と、しばし感慨にふけったのでした。


「堀川橋」から見た河口部、港川方面。港川バイパスにかかる橋は「雄樋川大橋」。


長毛側から見た堀川橋。よく見ると、橋脚下の曲線や、欄干に施された意匠が優美。
比して、最近の橋は画一的で、味気ないデザインが多いなあ、と改めて思ったのでした。
(三嶋)

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新聞(のようなもの)を出します

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県内の博物館情報や、文化活動に取り組む組織・人物などを紹介する印刷物を、以前から作りたいと考えていましたが、とりあえず、「沖縄ある記」の活動報告を兼ねた、新聞(のようなもの)を製作して、様子を見てみることにしました。
当面は、このホームページや、FMレキオの番組ともリンクしながら、月に1度の発行を目指します。
創刊号は、前面に國吉さんのビデオレポート「コレな〜に」を紹介。ネットと紙媒体を連携・コントロールしながら、使いこなすワークショップの場にしたいと考えています。
資金や人材の不足は承知の上。
限られた条件の中で何をやるのか、何ができるのか・・・。大言壮語に終わるかもしれませんが、やってみないと分からないしね。
まずは、“みんなで汗をかきましょう”と言って回ることにします。


新聞『沖縄ある記』。A4版・1枚を新聞と呼んでいいかどうか分かりませんが、今後のページ増と継続を目標に頑張りますので、応援のほどよろしくお願いします。
(三嶋)

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