喜名マップが完成です
2013年4月30日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
読谷村喜名の地域マップ「ちなーマーイ」ができ上がりました。文化庁の事業の一環で、昨年の座喜味編に続くものです。
喜名部落の中心地は、ペリー一行が立ち寄った話で知られる喜名番所をほぼ真ん中にして、国道58号から東が戦前、西が戦後とはっきり別れます。戦前までのもとの部落が、知花弾薬庫の土地として接収されたため、西側に移住せざるを得なかった分けです。
今では黙認耕作地となっている地域に本来の集落があった分けで、戦前の風景を覚えている方々とかつてのムラの跡を歩くと、懐かしさと寂しさが交錯しているようでした。
今回の地図も、前回同様に島袋美由紀さんの手描きイラスト&解説です。楽しんで読んでもらえればと思います(一般への配布予定はないけど)。
(三嶋)
不思議な小川
2012年11月27日 Category: Myある記 Comment : 0
読谷村喜納の3回目の調査に行ってきました。
集落の西側に点在するカー(湧水)や、部落の道路を訪ねたあと、集落の北東部にあたる黙認耕作地に分け入り、偉い人の墓やゆかりの地などをかなり調べました。
車を使いながらも今回が一番長い距離の移動だったので、かなり疲れましたが(地元の方々はみなケロッとしてたけど)、山に分け入る時など、子供に還ったようで結構興奮しました。
さて、この写真は、西側エリアをチョロチョロと流れるごく普通の小川ですが、上流と思われる写真奥の暗渠の入口を捜しても、見つかりませんでした。丹念に調べてはいませんが、写真の向こう側に水気のありそうな場所が見当たらず、途中で消えているようだと地元の方も話していました。宿題ですね。
(三嶋)
読谷村喜納の調査
2012年11月6日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
昨年の座喜味に続いて、今年も読谷村の地域マップ作りが本格化しています。
今年は字喜納が舞台。
現地調査、聞き取りを中心に進行中で、昨年と同じように、美由紀さん渾身の手描きのマップが少しずつ形になっています。
当日は、地元の方々6,7名と、戦後に住民が移り住んだ地域を歩きました。もともとの部落は、前回歩いた国道58号の東側でしたので(戦後の強制収用で現在は黙認耕作地)、今回は、戦後編ということもできます。
しかし、歩けば歩くほど分からないことや、ディテールが気になりはじめるのはいつもと同じ。フィールドはどこも広いですね。
(三嶋)
黙認耕作地のフェンス
2012年10月6日 Category: Myある記 Comment : 0
読谷村座喜味で行われた「ふれあい祭り」の一環として、喜納の方々と「喜納歩き」に参加しました。
予備調査を行った場所をいくつか回りましたが、今回は女性や子供も一緒に、お喋りをしながら野中の道をのんびりと歩くといった風情。戦前の住居がいくつかあれば、まさにタイムスリップしたように感じたでしょう。東の端まで行くと、嘉手納弾薬庫のフェンスが写真のように行く手を遮りますが。
(三嶋)