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久場崎の引揚者上陸記念碑

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中城村の久場崎にある引揚者上陸記念碑が、移設されたと聞いたので確認に行ってきた。

それまで会社の敷地内にあったため、気づかなかった人も多いだろう。

新しい場所は、誰にも気兼ねせずに当時の姿を忍び、痛ましい時代の記憶と平和の尊さを後世に伝えるものになるのだろうと思ったのだが、あにはからんや、ただ場所を移しただけで、荒地に放置したようにも見える。

これでいいんですか、と天を仰いだ。

2022年2月、以前あった場所のすぐ近く、会社の敷地外に記念碑は移設された。

本土からの船を降り、この地に戦後沖縄の第一歩を記した人々は約10万人。その後、多くの人々が復興の担い手となっただけに、この地はまぎれもなく戦後沖縄の出発点の一つだ。

しかし、戦後沖縄の社会は生活にかまけ、さまざまな戦後の記憶を置き去りにしてきた。この記念碑もその一つだろう。

最初の引揚者の記念碑が建立されたのが、戦後50年経っていたことだけでも、そのことは明らかだろう。戦後50年もの間、引き揚げ者の苦労や思い出が、記念碑などの形で公式に慰撫されることはなかったのだ。そして、建立される時には、この地はすでに企業のものとなっていたのだろう。

戦後沖縄の歴史が、あまりにも軽くぞんざいに扱われている。

2001年8月撮影。記念碑の建立は1996年3月で、終戦50周年祈念事業の一環だった。
1946年夏、久場崎桟橋に引き揚げてきた人々。
この地で検査・DDTの散布を受けたあと、すぐ近くの久場崎収容所や、現在の沖縄市高原にあったキャンプ・キャステロ(インヌミヤードウイ)に移され、帰村まで数日を過ごした。1946年8月17日から12月ごろまで続いた引揚げで、10万人以上の人々が帰島したとされる。
(写真:琉米歴史研究会)

<三嶋>

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