バックナーのカメラ
2015年8月8日 Category: Myある記 Comment : 0
TBSのドキュメンタリー番組、「戦後70年 千の証言スペシャル 戦場写真が語る沖縄戦・隠された真実」が、8月1日午後2時から放映されました。
(制作プロデューサー:佐古忠彦、ディレクター:吉岡功、出演:二階堂ふみ)
番組の柱となったのは、沖縄戦を指揮した米軍司令官サイモン・バックナー中将が、愛用のライカで撮影した48枚の写真で、琉米歴史研究会(喜舎場静夫代表)が以前、故バックナー中将の長男ビル・バックナー氏から、譲り受けていたものでした。
そこには沖縄各地の風景や住民の姿などとともに、戦闘中の米軍戦車の写真もあったのですが、これまで場所は特定できていませんでした。
しかし、今回の番組ではそこが、バックナー中将が戦死する直前まで立っていた、糸満真栄里の丘の南側であることが突き止められました。
戦車の砲撃を受け、家族を失った遺族の悲痛な話には胸を打たれましたが、バックナー中将の戦死で怒り狂った米軍が、報復として住民虐殺を行っていたという証言にも驚かされました。ベトナム戦争で大きな問題となった、ソンミ村の虐殺を思い出します。まさに戦場の狂気ですね。
番組制作にあたって、バックナー中将の長男ビル氏から送られてきたライカM3。
戦史に残る人物が愛用し、歴史を切り取った名機は、ズシリとした重量感があります。70年の年月が加算されているのでしょうか。
バックナー中将が撮影した48枚のカラー写真は、当時の沖縄の姿を鮮明にとらえています。
真栄里の丘で戦死する時も離さなかったカメラには、自分の墓の写真も残されていました。嘉手納基地内に埋葬された際、部下が撮影したものですが、自分のカメラで自分の墓を撮影するという皮肉めいた結果で、バックナーの沖縄戦は終わりました。
那覇のホテルで、届いたばかりのカメラを確認するディレクター・吉岡功氏(左)と、コーディネーターを務めた喜舎場静夫氏(右)
<三嶋>