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シンタの復元もアリでは?

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旧大里村真境名(まじきな)は、かつてシンタ作りで知られた集落です。
シンタとは島尻周辺の呼び名で、他の地域ではカマンタと呼ぶことが多い鍋のフタ。一番大きなシンメーナービなどでイモを蒸す時など、蒸気がいい具合に抜けて重宝したそうです。おもにススキの葉を使い、かつてはあちこちの家で作っては那覇や糸満に売ったそうですが、最後まで頑張っていたおばあちゃんが作れなくなったので、途絶えるのではないかと危惧していました。
が、公民館で聞いてみると、何と、自分が作れると言うおじいちゃんがいるではないですか。何ということでしょう。ビックリです。聞いてみるもんですね。
今すぐ計画がある分けではありませんが、もう一度作ってもらい、材料や技術を若い人たちに伝えられたらイイんですけどね。資料としてももちろんですが、かつては地域を代表する技(わざ)ですし、特産品だった分けなので、消えてしまうのはもったいないですね。
今風にアレンジしたり、何とかならないかなあ。


真境名公民館に置かれた、大小二つの“力石”。
かつての村の青年たちは、近くのカンナムイと呼ぶ場所で、「イッパー」と呼ばれるこの石を持ち上げて力競べを行っていたそうです。


メーチヂグヮーと呼ばれる現在のゲートボール場。
今ではちょっと想像できませんが、以前は小高い森になっていて、子どもたちの遊び場だったそうだ。夜になると、ここから南の方角に“火の玉”が見えるという場所でもあり、子供たちが肝試しをしたとのことです。
そんな思い出を、楽しげに語るお年寄りの笑顔は何とも魅力的で、接するこちらも楽しさが伝染しますが、考えると、彼らは沖縄戦を幼少に経験し、戦後を必死で生きてきた人たち。その軌跡や労苦に思いを馳せると、笑顔も特別のものに感じられたのでした。
(三嶋)

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