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安謝ある記

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 『しまたてぃ』(66号)の取材を兼ね、那覇市安謝を歩いてきました。
 案内は、字誌編さん員の普久原さんにお願いしました。
 安謝は新都心と隣接するマチ、というイメージを持っていたのですが、道幅以外さほど戦前と変わらないという筋道を歩くと、あちこちの御願所が今も大切にされていたりして(龕屋が残っているのにはビックリ!)、ムラの面影が随所に垣間見える地域でした。
 奪われた土地に造られた目の前の米軍基地を尻目に、たくましく戦後を生き抜いた人々の証しは、今はもう時間とともに埋もれてしまったようですが、かつての商店街を歩くと、あまたの人々の話し声や笑い声が、行き交う車の狭間から立ち昇ってくるような気がしたのでした。


今も残る龕屋(ガンヤー=死者を乗せるガンをしまう場所)。入口はブロックでふさがれ、封印されたまま。


安謝小学校の東側に走る「学道(がくどう)」。かつては、南(写真手前)に進むと基地のフェンスに遮られた。


高層の安謝市営住宅手前、現在、墓地になっている中ほどを、かつて基地のフェンスが東西に伸びていた。

軍道1号線(国道58号)下のトンネルを抜けた、西側地区にあった安謝劇場の跡。
1号線のかさ上げ工事で東西に分断された安謝は、トンネルを挟んだ通りに繁華街が形成され、安謝港で働く人々相手の飲食店や、料亭・旅館などが軒を並べてにぎわった。
(三嶋)

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