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沖縄ある記

 

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特定非営利活動法人
沖縄ある記
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小谷の綱引き

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南城市佐敷の小谷(おこく)の綱引きに、夕方から行ってきました。
与那原大綱曳きと毎年カブルるので、見物人もいないし、小さい部落なので参加者も少ないということでしたが、意外に(失礼)楽しめ、充実していました。
たぶん、小さな部落の手づくり感がイイんですよね。人が少ないこともあって、部外者の自分たちもパーランクーを叩いたり、綱引きに参加できますし。伝統行事としての形はかなり変化していると思われますが、今を生きる人たちの祭りですし、地域が元気になればみんなハッピーでしょう。


カンジャシチ(神座敷)前で行われたガーエー。
東と西、二つの旗頭にはそれぞれ「楽能」、「豊作」の文字。西の旗頭の頭には、竹細工の村として知られた小谷らしく「バーキ(竹カゴ)」が飾られています。


モーアシビーに最適の、村を見下ろす小高い丘(タカンリ)の上で、西のガーエーが行われました。昨年整備されるまで、長い間、樹木に覆われたままだったため、59年ぶりのガーエーとなったようです。

旗頭を先頭に、東西に別れて道ジュネーしてきた人たちが、農村広場(昔の馬場)に集まり、二本勝負で綱を引きました。子供からお年よりまで集まって、笑ったり汗を流したり、楽しい時間を共に過ごしてお開きとなりました。
面白かった!
(三嶋)

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ミニ文庫

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宮古にある「ありんこ文庫」や、市立図書館などに立ち寄ってお世話になったせいか、このところ図書館に興味をもっていたところ、南城市知念山里の道端に「ミニ文庫」なるものを発見。

調べてみたら、知念村知念の個人が、「子どもたちと地域の人に本を読む環境をつくってあげたくて」、22年ほど前に2ヶ所作ったうちのひとつだと分かりました(『週間レキオ』2014年7月10日No.1526号)。
現在は、初期の目的を達成したとして休眠状態のようですが、地域のために個人で文庫を開設・運営している話は、あちこちで見聞きしていたとさらに調べてみました。
と、新聞などで見る限りでも、個人や地域で文庫(図書館)に関わる人が多くいる(いた)ことに驚きました。
その一部を以下に紹介しますが、名護町出身の崎山喜昌氏が、1965年、地元に寄贈した旧崎山図書館は別格(すごすぎる)としても、あちこちでいろんな活動がなされていますね。

 

1976年、石垣島で私設「みやとり文庫」開設
1976年、那覇市のビルの一室に私設「久茂地文庫」開設
1983年、名護市親川で私設子供図書館「めだか文庫」開設
1989年、竹富町西表島の大富集落に私設「ヤマネコ文庫」開設
1990年、与那原町で「まち角図書館」開設
1991年、宜野湾市野嵩で地域の「青空文庫」オープン
1994年、アジアの7カ国が参加して、国内初となる地域文庫国際会議が旧佐敷町で5日間に渡って開催
1997年、石垣島の「みやとり文庫」が県内初となる「子ども文庫功労賞」受賞
1999年、名護市屋我地島に私設「山原遊びと創造の森図書館」開設

そして、2013年には、女性と子どものための絵本文庫「ありんこ文庫」(池城かおり代表)が、宮古島市に開設。
これらの文庫は、個人や友人が一念発起したものと想像しますが、その勇気と頑張りには脱帽です。地域と子供たちを思う気持ちに、われわれ「沖縄ある記」もシンクロしていきたいと思いますし、少しでも協力できたらと思いますね。
(三嶋)

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思い出の十貫瀬

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20年以上前、那覇市の十貫瀬(じっくゎんじ)にあった事務所に、しばらく務めていました。
毎日がせわしなく、寝る間も惜しんで働きましたが、不思議とあまり疲れなかったのは、まだ若かったからでしょうね。
今はジュンク堂になったダイナハにもよく通い、この写真を撮った「みどり駐車場」も、よく利用していました。


「みどり駐車場」の屋上からながめた風景。
空地の向こう、左右に延びる通りがかつての長虹堤跡(分からない人は検索してね)。モノレールも走っています。右端ギリギリに見えるのは、那覇新都心のツインマンション(のひとつ)です。


こちらは2000年4月の同じ場所。
このころから周辺の建物が取り壊され始めたので、撮影したような記憶がありますが、14年たってもあまり変わらないような気がするし、変わったような気もするし・・・。
そういえば、写真を右にパンしたあたりには、『死者たちの切り札』(あまり売れなかったのは弊社の装丁のせい?)の著者、十貫瀬和雄氏が経営する「カンヅメハウス」が一時期ありましたね。猥雑で物悲しい十貫瀬を愛するオヤジたちが、夜な夜な集まる場所でしたが、周囲がみょうにキレイに形を変えつつある昨今、老兵たちはどこへ行ったんでしょうか。行く場所あるのかな?


ビルの裏に、お墓や雑草が生い茂る空地が残っているのを見ると、みょうにホッとするのは何故でしょう。
きらびやかな表の世界が虚飾であることを、実はみんな知っていますよね。生と死が隣り合う日常こそ、沖繩らしい風景だと思うんですが、たぶんそのうちテナントビルやマンションが建つんだろうな。
(三嶋)

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招き猫

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事務所で飼ってる猫のバグが7月12日に天国に逝きました。
22歳と、人間に例えたら100歳越えの大往生になります。
招き猫として商売繁盛や招福といった役割を発揮してたのかは疑問だけど、むさくるしい事務所の中を癒してくれていて有り難い存在でした。
ちょっと寂しくなりますが、後任はクロが引き継いでくれるでしょう。


●昔作ったバグの日記「わらわはバグじゃ!」

(下地)

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渡嘉敷の村は静かでした

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国定公園に指定されたばかりの慶良間諸島・渡嘉敷に行ってきました。
何の準備もしない日帰りツアーでしたが、レンタカーであちこち走ったり村を歩いたり、充実したホリデーとなりました。この島は、思えば、大学1年生の夏休みにキャンプし、あまりの海の透明度に感動したところ。
今から数えると40年前(え!)になりますが、観光客やダイバーが増えた以外、島の姿は当時とあまり変わっていないように感じました(港や道路・建物は立派になってます)。
でも、道で出会った95歳(!)になるというお婆さんが言うには、「島は若い人が減って寂しい」とか。観光関連の仕事は増えても、第一次・第二次産業はこの島も苦しい状況のようです。


港から続く通り沿いの壁に描かれたペンキ画。手づくり感があふれ、訪問者を温かく迎えます。


阿波連小学校の前の道には、子供たちの描いた魚の絵が並んでいます(消えかかっているのが残念)。
在校生は20名ほどのようです(津堅島の小学生ぐらいでしょうか)。
すぐそばは阿波連ビーチで、目の覚めるような青い海と白砂が広がっていますが、半裸の観光客が小学校周辺をかっ歩する環境が、いいのか悪いのか複雑な気分になります。


典型的な沖縄の集落といった風情の昼下がり。歩いている人がいないのは、40年前と変わりません。
だって暑いもんなあと考えていたら、道の向こうから一人で歩いてくるお婆さんと遭遇。
あいさつすると、何と95歳で、しかも散歩中とのこと(え!)
体に気をつけて長生きしてくださいと別れましたが、上品な笑顔と語り口が印象的で、こちらも優しい気分になれました。
(三嶋)

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