太平橋(平良橋)の見学会
2015年11月15日 Category: Myある記 Comment : 0
首里平良にある太平橋(平良橋)で、発掘調査の現場説明会があるというので出かけてきました。現在の太平橋は、一昨年このコーナーで紹介し、もうすぐ無くなるよと書いたのですが、まだ残っていました(ははは)。
2013年6月の太平橋(平良橋)。
もとの太平橋は、この橋のすぐ向こう(下流)にあったもので、川の両側に残る当時の痕跡を、今回は見学したということになります。
石畳道の一部が残る橋の西側部分。大勢の歴史マニア(?)が詰めかけました。
車が見える向こうの橋が現在の太平橋。すぐ手前(結構深い)が昔の橋の跡。
川の東側から出土したミーガー(新井)。
写真のずっと左側が、昔の橋のたもとになっていて、その場所で大量の赤瓦や焦げ跡が見つかったことから、ここには赤瓦の屋敷があって沖縄戦で焼けたのだろう、ということでした。
また、屋敷の西側にあったのが、共同井戸だったという写真のミーガーで、屋敷の住民も写真の手前から降りて利用していたと考えられるようです。
いやあ、70年の時を超えて現れた、生々しい生活痕が放つ存在感は相当なものがありますね。本物ですから。どんな人が、どんな思いで暮らしていたのか…。関係者がまだいらっしゃるかもしれませんし、想像がふくらみますね。
また、分かりやすい解説とともに担当者の熱意も伝わって、充実したひと時を過ごせました。素直に感謝したいですね。
<三嶋>

なつかしのスキヤキ
2015年10月31日 Category: Myある記 Comment : 0
常連となりつつある知念の「いろは食堂」。
ふと、スキヤキがあるのに気づき、学生時代を思い出して思わず注文しました。
甘目の醤油味の野菜炒めに、タマゴを乗せたスタイルは、かつて食べた首里の食堂とほぼ同じ。
でもスヌイ(モズク)、スープ、ご飯が付いて500円だから、学生時代より割安な感じですね。
当時は贅沢メニューのひとつだったので、あまり口にできませんでしたが、これならいつでも食べられるなあと嬉しくなったのですが、気がつけば、今度は胃袋が若いころのようには食べられないと言っています。
<三嶋>

那覇軍港
2015年10月24日 Category: Myある記 Comment : 0
「産業祭」の駐車場として毎年利用される那覇軍港。
それぐらいしか使い道がないように思いますが、移転の話が進まないなか、広大な土地が相変らず放置されたままとなっています。
ベトナム戦争当時はたくさんの米軍艦船が出入りし、戦車やトラックが並べられ、弾薬・物資が山積みとなっていました。
再びそんな事態にならないことを願います。
1945(昭和20)年、敗戦直後の那覇港。写真提供:琉米歴史研究会。
現在の陸上自衛隊那覇駐屯地の高台あたりから撮影されています。
戦前は海岸まで集落があり、人々の暮らしがあった分けですが、隣接して海軍の小禄飛行場(現那覇空港)もあったため、周囲はことごとく破壊され、がれきが山をなしています。
当時から70年たちますが、風景はほとんど変わらず、今もって何もありません。
<三嶋>

せめてデモぐらい
2015年10月21日 Category: Myある記 Comment : 0
国際反戦デー沖縄県集会に参加。県民広場の集会後、国際通りをデモ行進してきました。
辺野古も気になったまま時間がつくれないため、せめてデモぐらいはという気分。
労働組合の組合員が中心ですので、市民はさほど多くないようでしたが、観光客は別にしてももう少し自分に引きつけて考えて欲しいとも正直思いますね。
何をしても社会・体制は変わらないさ、とはよく聞くフレーズですが、真綿で首を締められている感がある昨今の圧力に対して、自分が変えられていないことを試し、示す機会ではあるように思います。
<三嶋>

今泊の散策会
2015年10月18日 Category: Myある記 Comment : 0
名護博物館友の会(今年は会費を払ったのでボクも会員)の行事に参加し、今帰仁村今泊を歩いてきました。
今回は、今帰仁グスクを学ぶ会の大城さんの案内で、同地の歴史を知ることができ、勉強になりました。
志慶間川沿いの道。右側にはかつて、田んぼが広がっていたそうです。
美しいフクギ並木や石積みが残る今泊の集落内。清潔で整然とした落着きを感じるのは、今帰仁グスクと歴史をともにしてきた故でしょうか。
以前から気に入っている今帰仁グスク交流センターのトイレ。
外の木々を目の前にした半屋外の空間には、感動すら覚えます。
沖縄でもっとも好きなトイレかもしれません。
女子の方がどうなっているか気になりますが、そこまではねえ。
<三嶋>
