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沖縄ある記

 

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特定非営利活動法人
沖縄ある記
(地域文化支援ネットワーク)

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小谷が盛り上っています

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南城市全域を会場にした「半島芸術祭」が、11月16日(土曜)から始まため、字小谷でも何だかソワソワし始めているようです。
タカンリと地元で呼ばれる集落の南東にある高台も、生い茂っていた樹木がユンボでなぎ倒され、整地作業の真最中。この場所は、佐敷から知念半島まで眼下に見渡す絶景ポイントで、かつては毛アシビーの名所だったという話もうなずけます。夜空の下で、若者たちが謡ったり、踊ったり、愛を語ったりする場所だったんでしょうね。


樹木を払ったタカンリに現れた大岩。ガケの上にあり、しかも大きな亀裂があるため、転げ落ちないか心配する声も。


ムラのなかで新たに確認した140年前に造られたというヒンプン。一見するとコンクリートのようですが、4枚の琉球石灰岩がピッタリとつながって出来ています。石は牧港で切り出し、馬天まで舟で運んだあと、10人ほどの村人でこの場所まで担ぎ上げたようです。昔の人はエライ!と言う以外、言葉が見つかりません。
(三嶋)

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竹取り物語

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在来資源・素材を生かした地域活性化を指向する、南城市商工会のお手伝いで、ヤンバルまで竹取りに行ってきました。
お目当ての竹は、「蔓草庵」の島袋正敏さんに同行していただいたので、さほど苦労することなくゲット! 
朝からショボ降る雨に濡れたり、川の中を歩いたりもしたので少し疲れましたが、結構テンションが高まり、たまには体を使わないといけないなと思った次第(思っただけで終わるでしょうが)。


かたまって生えているシジャダキ(ホウライチク)の中から、1本ずつノコを使って切り出し。虫が入っているものも見受けられるようで、竹林は切らないとダメになるようです。地元でも竹が使われなくなっていることの証しでしょうか。


竹は直径3cm前後。孟宗竹のように太くありませんが、それでも10本も束ねて担ぐと結構な重量感。キビ担ぎほどではないですけどね。
(三嶋)

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マーグとシンタ

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南城市大里でマーグとシンタを見てきました。
マーグはススキと竹で作られた円形のカゴ。女性が嫁入りの時に持参するもので、衣類入れとして使っていたようです。
シンタは、カマンタなどとも呼ばれる鍋の蓋(ふた)です。鍋の大きさに合わせてサイズはいろいろあるようです。これもススキと竹で作られています。
マーグもシンタも、かつて沖縄で一般的に使われた道具のひとつですが、1960年代から次第に実用品としての用途はなくなり、民芸品としての命脈も現在、ほぼつきようとしています。
自然から遠ざかる事が価値を持つとすり込まれ、高度成長期を過ごしてきた私たちは、在来資源を巧みに取り入れてきたシマの暮らしが、消滅しようとする間際にも立ちあっているようです。


周辺にあるススキと竹を使って編み上げられたマーグ。手に取ると思ったより重く、緻密に作られていることが分かります。直径約50cm。


大鍋(シンメーナービ)用の蓋、シンタ。取手もしっかりとした作り。合理的かつ美しい曲線を描いています。
(三嶋)

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知念ある記、怒濤の第3弾がスベる

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第3回の知念ある記を日曜日29日に実施しましたが、話を急ぎすぎたのかさすがに疲れたのか、ドタキャンもあって参加者は私一人。地元では10人ほどの方々が集まっていたので申し訳ない気分でしたが、みなさん楽しげだったので少しだけ救われた思いでした。
今回は、これまで行けなかった海岸寄りの地域を歩くのがおもな目的でした。時間が短く物足りない感じでしたが、地元でもあまり知られていない場所や伝承などをみんなで共有できたのは、収穫のひとつでしょう。
また、集落がある高台から海岸近くまで急坂を下り、再び登るだけで結構な運動になったのかと思いきや、ほとんどがこちらより先輩の方々、みなさん平気な顔をしています。小さな時分から坂を上り下りして鍛えた健脚故でしょうか。みなさん元気です。


集落の東部に位置する高台にある波田真殿(はだまトゥン)。先月の綱引きでは、終了後に綱の末端部を切り取り、ここで燃やして無事を報告していました。
殿は村の祈りが行われる場所で、北部の神アサギと同じと考えられています。


ナガラ墓。集落東にあるハンタマシと呼ばれるガケを下り(階段があります)、さらに少し下った道沿いにある墓。海岸に漂着した遺体を埋葬した場所ということでしたが、草木が繁茂して入口部は確認できませんでした。「ナガラ」は「流れ」だと思われます。


海岸近くにあり竜宮神を祀る拝所。かつては糸満漁民の流れをくむ集落・ハマヤーが近くにあり、旧暦3月3日の浜下りの日には、スクガラスなどを供えてみんなで祈っていたとか。現在は行われていないようです。

神山殿(トゥン)。アカギなどが生い茂る森の中にある拝所で、厳かな雰囲気が満ちています。殿には70cmほどの石柱が4本残っていて、赤瓦の破片も多数落ちています。背後には静謐な空間が広がり、その後ろの山はかつて風葬の場だったと聞きました。
(三嶋)

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「知念ある記」が始まりました

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 南城市における地域マップ作りを、字小谷に続いて字知念でも始めています。
 合併する前は旧知念村知念なので、字は南城市知念知念となります。何だかン?と思いますが、字佐敷や字玉城もそれぞれ佐敷佐敷、玉城玉城となっています。地名にはそれぞれの土地に固有の歴史があり、人々の思いが込められていますから、行政の都合だけで簡単に変えるのには違和感を覚えます(そういえば、日本地名研究所所長で、地名にはひときわこだわっていた民俗学者・谷川健一氏も亡くなりましたね)。
 さて、字知念ですが、広すぎてまだつかみ切れないというのが正直なところ。地元の方にイロイロ教えてもらいながら、進めていこうと考えています。

公民館(コミュニティーセンター)で地域の人たちにあいさつ。

玉城の「受水・走水(ウキンジュ・ハインジュ)」と並び、稲作発祥の伝説があるウファカル。知念城跡から続く森を抜け、視界が開ける湿地帯にありますが、ここが水田だった!という場所はよく分かりませんでした。う〜ん、無くなったのでしょうか? 残念!
(三嶋)

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